母の愛
11月9日 受信
先生おはようございます。N子です。
最近更新がなかったので心配していましたが、お元気そうで何よりです。
今回の「死んだ娘に会いたいⅠ・Ⅱ」とても勉強になりました。
なんとなく理解できてはいますが、かわいい盛りの娘さんを亡くされた御夫婦の疑問はあの世の実感の少ない私も自然に抱く疑問ばかりです。
スピリチュアムブームで変に飾られたパフォーマンスで、誤解を受けてきた供養や除霊や淨霊なども、先生に出会ってからは残された家族が仲良く生活することが供養であり、あの世の人と私達はなんら変わりがなく恐れる必要がないと思うようになりました。
先生に出会えて私達は本当に恵まれています。有り難うございます。
義父が生前のとき相談に乗っていただき、お祈りしてくださり有り難うございました。
〇月〇に亡くなって以来、家族の悲しみの中でもやらなければならないことが多くあり、家族間で一騒動もありました。
義母は今後年金生活になりますが、義父が社会保険料を掛けている期間が少なく自分のと合わせても最少額になると嘆きました。
同居している主人に泣き泣き病院代がかかるから生活費がほしいとか電話代や携帯代は払ってくれないかと一週間もたっていないのにお金の話をするので、主人と口喧嘩になりました。
しかし義父は生前より「あんたが老人ホームに入るくらいは残しているから心配しんさんな」と常々言っていましたが、どれだけの財産があるのか誰も知りませんでしたのでその手続きを主人が引き受け整理したところ1億近い預貯金がありました。
それを知って安心した義母ですが、今度は私が母に借金しているのを全額返済を要求してきました。
以前弁護士に相談したいといったら、「お金はもう要らないしどうせ私が生きとる間に返せんのだから毎月くれるだけでいい」と言われ今日まで毎月返済をしてきました。
義父が亡くなって預貯金の全ては妻に相続するとの遺言書の通り従いましたが「これは私のお金ではない。お父さんが一生懸命贅沢もせずに貯めてきたお金。
私は使わずに子供らに残したい」と生前贈与や非課税になるからと多額の保険に加入したり、相続税を子供たちが少なく払えるようにとしました。
そしてこの度、私の返済も要求してきたので、主人がお金のことで言われるのはかなわないと残額200数十万を一括返済してくれ、私は返済先が主人へと変わりました。
今まで返済が十分にできない分、義父母を大切にしようとお世話をしてきましたが、いざ返済が終わり縛りから解放され安堵しましたが、長年葛藤しながらの同居でも義父母に掛けてきた愛情はしっかり育っており、変わらず接することにしました。
それが義父が喜ぶことだと思ったからです。
一騒動の中、49日前の義父の祭壇の花瓶が夜中に片方だけ2回倒れました。
一度は花が重たいのかと落ちないように工夫しましたが、また夜中に同じ花瓶が倒れました。
義母は「お父さん私何か間違っているんかねぇ」と気にはしていましたが、私はきっと義父が義母の今後の生活を憂える姿に「あんたが生活するだけの財産は残しているのに何を心配しているのか」と伝えたいのだと思いました。
21日ごろまでは義父が家の中にいる実感がありましたが今は居ないような気がします。
きっと義父は預貯金を相続税を払いたくないと義母が行っている生前贈与や非課税の保険など望んではおらず、税金を払えるのも幸せなことと言うような気がしてなりません。
また、義母は生前のように食事をテーブルに用意し義父が椅子に座っているかのように抱えて某宗教団体のお経を体にさするようにして唱えています。
きっと成仏するように願ってのことだと思います。
先生の教えからは程遠い我が家ですが、私自身義母に振り回されることなく先生のブログで学ばせていただいて家族に接していきたいと思います。
文章がまとまりがなく、上手にかけなくて申し訳ありません。
これからもお体に気をつけて御自愛ください。
返信
N子こさん。こんにちは。
お久しぶりです。メールをありがとうございます。
お義父さんが亡くなって以来ですね。
この頃あなたのことが気になっていたところにメールをいただいて何かしらホッとしました。
しかし、何かとご苦労が絶えませんね。
お義母さんにも困ったものです。
このままではお義母さんは自らして報いを受ける時がくるでしょう。
この世でその時がこなくても、あの世ではきっちりと清算しなければならないときがきます。
なかなか気づけませんね。
N子こさんは今までのように自分の心を信じて生きてくださいね。
あなたのこれまでの心の成長は必ずや実を結ぶ時が来ます。
否、あなたがこれまで務めてきた努力があるからこそ、お子さんたちやご主人が今のような生活ができているのですよ。
そういう意味ではすでに実を結んでいるのです。
あなたの心と努力は私が一番よく知っております。
だからあなたに「拍手~」です。
受信
お忙しい中御返事下さり有難うございました。
先生から御返事を頂いて、何かしらほっとして思わず込み上げるものがありました。
今、中三の次女は受験生なのですが、勉強をやろうとしません。
焦ってはいるようですが、勉強嫌いなので受験生とは程遠いです。
私も同じようだったので、似てるなぁと思うのですが大学院卒の主人は勉強しないと将来後悔すると、努力家の人ですから次女が怠けているようにしか思えず、腹立たしいようです。
それが原因で主人はアルコールも入っていたため大声で怒鳴り、恐怖心で次女が泣き出して私が間に入って代わりに叱られました。
そんなことが二度ありました。
私は今もたいして知識も教養もなく今日まで人様に迷惑も掛け色々ありましたが、不思議に後悔したことがありません。
しいて言えば、実家暮らしの時、両親をもっと助けてあげれば良かったと思うことでしょうか。
学歴社会の中で、勉強しないことは責められる世の中になり、勉強嫌いな子は生きづらいなと思います。
親はつい失敗しない様に、先に先に言ってしまいますが、私も苦い経験から学ぶことが多くあると思うと、親は真面目に生きて子供を暖かい気持ちで見守るしかないんだなと、先生に相談したくてメールを書いてるのに自分の中で答えが出てきました。
先生有難うございます。
こうして先生との交流が私にとって貴重な時間です。
これからもどうぞよろしくお願いします!
返信
だまっていても勉強する子、言われても勉強しない子、苦手な子、不得手な子、切羽詰まってようやく動き出す子、最後まで勉強の嫌いな子、しかし、こういったことと学校の成績に優劣であることとは必ずしもイコールではないようです。
それほど勉強しなくてもそこそこの成績で卒業したり、進学する子もいることでしょう。
私などは、自分が学問を苦手としていたこともあって、成績などいつもワースト記録ばかりでした。
それもあってか、自分の子供には「勉強しなさい」なんて言ったことがありません。
しかし、有り難いことに、学問が苦手な私のような人間でもこうして社会に生かされ、生きています。
育った「時代が違う」といわれればそれまでです。
確かに今の社会に巣立って生きていくのは容易いことではなく、ご苦労も多いかと思います。
必ずしも学歴があるから就職が約束されるということでもなく、大学を出て就職できないから大学院や専門学校へ進むという子たちもいますね。
学業も、就職も、順風満帆とはいかないことのほうが多いと思うし、そういった試練がまた人を成長させるところもあるのでしょう。
結局は親が子供に代わることができないですから、あなたが言うように、暖かい気持ちで見守ることしかできないできないのですよね。
ご主人がお酒の勢いをかりて娘に怒鳴るのはいただけませんが、あなたが中に入って代わりに叱られたというのは立派な行動だったと思います。
あなたが娘さんの代わりに身を挺したことによって、娘さんの恐怖心は治まったと思いますし、そのことでどれだけ娘さんが救われたことでしょう。
そして、そのことによって少しは勉強にも気持ちが向けられるかもしれませんね。
お義母さんのお金に対する執着、〇〇の〇という宗教への拘りによる偏った供養のあり方、一生懸命供養している姿とは裏腹な家族への不調和な我欲からくる言動。
自身の心調えずして、真に故人の供養などできようがはずがありません。
人間は弱いものですね。
そして愚かなものですね。
自分がみえないのですから。
しかし、愛あるのもまた人間ですね。
あっても無くていい物ならない方がいいでしょう。
しかし、愛はあったほうがいいですね。
私はN子さんがこれまで辛抱してきたご苦労を知っています。
家族で自分自身を知っているのは、N子さん。あなたですよ。
だから今の家族でいられるのです。
あなたがいなかったらおそらく家族は離散していたことでしょう。
勉強が得意ではなかったというあなたが家族の大きな支えになっている。
素晴らしいことだとは思いませんか?
そして、相談のつもりでメールを書いていたら、いつの間にか自分で答えをだしている。ここにもあなたの成長があるからこそです。
こういったことが何よりも素晴らしい心のステージアップですね。
平和
家庭でも、社会でも平和を言葉にする人、唱える人、また、そういう機会はたくさんあります。
それでも現実の行動をみると、他人に対して感情的になったり、家族につらく当ったりすることがたくさんあるでしょう。
宗教に入信して一生懸命に指導されたことに夢中になってはいても、実生活ではお金に執着したり、嫁姑問題で確執がうまれたりという事例もたくさんあります。
こうしてみると、どれほど宗教的な知識を学び得ても、実生活にそれが活かされていなければ、それは単なる宗教的パフォーマンスに過ぎず、絵に描いた餅でしかないですね。
結局、食べられません。
人と人の心のやり取りのなかには、共感することもあり、反発して分裂することもあります。
ここには価値観の違いや、気が合わない、肌が合わない、ウマが合わない、自己中心的、等々いろいろな理由があるかと思います。
真に平和を願うなら、理屈や知識ではなく、ほんの少しだけ心を向けてあげて、言葉をかけてあげられたらそれでいいのではないだろうか。
悲しみのあるところには慰めを、分裂のあるところには温かい言葉を、そして怒りのあるところにこそ安らぎの心を傾けてあげたいですね。
あなたはご自分のことを、「たいして知識も教養もなく」といっておられますが、しかし、私から見れば、何よりも一番大切なのものをもっていると思っております。
「無償の愛」これです。
この世でもあの世でも、生きるにあたっての最大の持つべき武器は無償の愛です。
あなたはこの愛をもって家族の心を支え癒しているのでしょう。
どれほど学問知識が優れていても、愛ある行動ができるか否かは別ですね。
ときとしてご主人の乱暴な言葉を受け止め、お義母さんの心ない言葉にも翻弄されずに許しておられる。
こういったあなたの人生観がどれほど大切であるか、また素晴らしいことであるか、その結果と評価は既に現象となってみえているはずです。
そして次元を超えてあの世にいったときに、魂の兄弟姉妹たちに最大の称賛をいただくことになるでしょう。
どうぞ、これまでどうり自分を信じて、家族を愛して生きてくださいね。観童
※きょうも最後までお読みくださいまして感謝もうしあげます。
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