胎教

胎教5

今生最後の思いが優先される
人間には自由意志が与えられてあります。あなたはこの次(来世)は、どういう所に生まれてきたいと思われるであろうか。

今の人生の大きな流れは、その人の前世が終わる時に思ったこと、あの世で計画したことの結果ですから、この人生がどんなにつらいものであったとしても、それを敢えて受け止めて、自分はこの人生から何を学ぶべきかという謙虚な気持ちになった時に、その人の人生は上手くゆくようになる。

だから今、その人が、自分の人生が上手くゆかないのであれば、その人は自分の人生に感謝できず、自分の人生を自分で怨んでいる結果なのですから、たとえ今、自分の置かれている環境がどんなに厳しくつらいものであったとしても、まず感謝するということから始めなければならない。

そうすれば徐々に運命はよくなってゆく。今の人生を嘆(なげ)いたり、怨(うら)んだり、不平不満や愚痴、怒りの気持ちで送ることは明らかにマイナスエネルギーの環境を自らしてつくることになるので、決して明るい環境や幸せな人生になることはないのです。

あなたの人生がいよいよ終わろうとする時、あなたは何を思うのでしょう。

一生を振り返ってみて、自分の人生が成功(地位や経済力ではなく)であったか失敗であったか。

心に悔いは残っていないか、過去世において金持ちであったが、前生が終わる時、やはり人生は金ではなかった。

『金だけでは幸福にならない。』と思い知った人達は、この次には、その人が心で思った通りに、金は無くても心の豊かな生活をしたいと思って、自分で敢えて貧乏な生活環境を選んで生まれてくるということもあるのです。

それが魂の学習となることを知ったからです。

そのように、子供の縁もまた、前世、前々世などの過去世で縁のあったものの中から選ばれることになるのです。

縁があって、お互いに魂の勉強をすることを約束して生まれてくるのですから、生まれてくる子供は皆、障害の有無に関係なく祝福しなければならないのです。

再婚と未婚の母の子供

再婚した場合に新たに生まれる子は、母の方に縁の深いものの中から選ばれる。

再婚の場合は父があるから問題はないが、未婚の母の場合は父がいないことになるのですから、もしその子供が大きくなって「「自分の父は誰なの?」と聞いた時に未婚の母はどう答えるのであろうか。

答えても答えなくても問題があることは間違いないし、その時、未婚の母は苦しむことになる。

右肩上がり時代の先端を行くという人間の驕(おご)り、また女性の地位向上のためにと気負ったなかでできた未婚の母の子は、その子供が大きくなった時に思いがけない苦しみを受けることになる。

表面では強がりを言っていても、内心では未婚の母になったことを悔いて、子供というものはやはり、正式の夫婦の間で生まなければならないと思うであろう。

このようにして、人間のあり方は、自然に天が定められた秩序に従って生きて行くことが真の幸せであり、自然の法に反することはいけないのであるということを自然に知って自然に自分の心をコントロールして生きていくことの大切さを学ぶようになってゆくのです。

胎教2に書いたように、アメリカでは人口授精児の場合でも、子供が父親を知りたいと言えば知らせなければならないということになって来ていますから、未婚の母の場合は尚のこと、子供は知る権利があることを主張するであろう。

よい胎教
これまで胎教1~4で述べてきたように、神経質になる必要はないが胎教は大事であり、妊娠初期2~3ケ月間のちょうど頭が胎内で創られる時分の母親の心の不調和が、無脳児や精薄児やその他頭部に関係のある目、耳、口の障害を引き起こし、手足が出来る時分の不調和が手足の障害即ち小児麻痺などになる要因ともなる。

そうして妊婦の心の思いが、生まれてくる子供の性格に大きな影響を与えるのですから、よい子供を持つためには、生まれてくる子供を祝福し、心をきれいにする為の本を読み、いい音楽を聴き、いい絵を見、いいことを想像することをすればよいのです。

これらを全部ではないが、そういう心で生きるということです。

美智子妃がご懐妊された時、日常生活を正しくして、古今の名曲、名画を鑑賞されて、胎教を重んじられたことは有名であり、天皇陛下もまた、夫君として、日頃の起居動作を一層正しくされ、かねてにもまして、当時の妃殿下をいたわられたというのである。

いい本を読み、名画や名曲を鑑賞できる優雅な人はそれでもいいが、我々庶民はそんな時間も金もないという人があるかも知れない。

その人達は、自分の心の中に最高の智慧、愛、調和、平和、明朗、積極、堅実な状態を想像し、生まれてくる子供が、多くの人々に感謝され祝福され、またその子供が大きくなるにつれて、人々に愛を与え、幸せを与えてゆく状態を心の中に描けばいいのであって、そのことが何よりも大事なのです。

子供のことで苦労しているという親達は、子供の肉体に障害を与えるほどの心の不調和はなかったとしても、性格に歪みを与えてしまったことを反省しなければならないし、反省して心を調和してゆく時、自然に子供の非行も暴力もよくなってゆくのです。

子供に感謝すること

子供は親を思うものであり本来親孝行をしたくてたまらないのです。

だが、そのように考えている子供の心が期待を裏切られる時、逆に子供は親に失望して反抗するようになる。

何が子供を失望させるのか。

そのもっとも大きな原因は、子供が生まれて来たことを、子供が子供としてそこにいることを喜ばない心を持ち、そういう言葉を不用意にではあっても口にすることです。

「あんたみたいな子供は生まれてこなければよかったのだ。」と、夫婦喧嘩の飛ばっちりがついつい不用意に子供に向けられた時、子供は一体どう思うであろうか。

実際にこういうことがあったのです。

子供は思う。

それならどうすればいいのか。

自分は嫌われている。

生まれてこなければいいと言っても生んだのは親ではないか。

自分達が生んでおいてそう言うのは矛盾じゃないか。

自分が喜ばれていない。

いない方がいいのであれば今は子供で、家を出ても生きて行けないからここにいなければ仕方がないからここにいるが、自分で働いて食べられるようになったらここを出よう。

と心ひそかに家出を決心し、自分の存在を喜んでくれる所を求めて家出しようと思うのです。

「この子は困った。この子はいない方がいい。」と言うようなことは、心の中でも思ってはいけないのです。

子供の心はきれいですから、親のそういう心を敏感にキャッチするのである。

それとなく、何となくという雰囲気が子供に大きく影響するのです。

よい子供、人を愛し人に愛される子供、人に迷惑をかけない子供、自分のことは何でも自分でする子供に育てようと思うならば、親は子供に心から感謝することである。

子供は、親の心がよければよいなりに、悪ければ悪いなりに親の心の姿をはっきりと映し出してくれる。

子供が悪いのは親の心の在り方が悪いのですから、子供を良くしようと思う前に親自身がその心のあり方を反省し修正しなければならないだろう。

そのようにして親は、子供の姿を見ることによって自分の心を反省し勉強させられてゆくのです。

そういう親子関係を約束してあの世から生まれてくるのですから。

「あなた達は、よくぞ生まれてきてくれました。あなた達が生まれてきてくれたおかげで、お父さんはお父さんとしての、お母さんはお母さんとしての、あなた達が子供として生まれてきてくれなかったら味わうことの出来なかった喜びを、あなた達が味あわせてくれたということだけで嬉しい。ようこそ、お父さん、お母さんの子供として生まれてきてくれました。ありがとう。」という気持ちを言葉に託して伝えてみたらどうですか。

この言葉は特に保育園、小学校時代になら間に合うでしょう。中学、高校生でも親が心から子供に詫びたことをきっかけに非行がおさまった例はあります。

自分がそこに子供として生きてきたことを親が祝福し喜んでいたら、子供は決して親の心を悲しませ悩ませるようなことは絶対にしない。

もし、子供を持って、子供のために苦労しているという人があったら、その子供を妊娠して以来、その子供に対してどのような思いを持ってきたかを反省し、心のあり方を修正すればそれで子供もよくなるのです。

『子は親の鏡』とはよくいったものです。

次回は胎教最終回の予定です。

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