病気と想念

身体が痛い、腰痛、偏頭痛、凝る、苦しい、めまい、突発性難聴、倦怠感、不眠、動悸、寝汗、ホットフラッシュ、等などいろんな症状を訴えてくる方は多いのだが、同時に心の疾患をもって来る方も多い。
人間、誰しも健康で元気に一生を過ごせたらこれほどの幸せはないと思うがどうだろうか。
『いや、お金があれば幸せは買えるよ。』
『出世すれば給料が上がるから、やはり出世しなくちゃ幸せにはなれないよ。』という人もいます。
ですが、ここでは敢えて、お金や出世ではなく、病気について検証してみることにします。
私たちは生きている限り病気がいつ発症するか誰も一寸先のことはわかりません。
病気の原因とその病気から解放されることは、人間である以上、無理で不可能なのだろうか。
病気は文字通り気の病いと書きます。気は心から発するものです。
身体の細胞が病んでいることは確かですが、実はそれぞれの内臓にも波動(意識)があり、その波動の不調な状態が病んでいる身体の症状として現れているものです。
胃腸には胃腸の波動(意識)が、心臓には心臓の波動があります。
その波動が正常な活動を失い乱れた場合にその部分が痛んだり病んだりしています。
当然、一つの臓器が病めば別の臓器にも体全体にも影響して、健康状態を弱めていきます。
人間の波動(意識)というものを大別しますと、心(魂)の波動(意識)と、それぞれの臓器を動かしている細胞意識(波動)の二つがある。
病気はこの二つが同時に病むときに表面化してくるものですが、その原因は私たちが普段の生活で活動しているわずか10%の表面意識にあります。
例えば、ビックリすると変な汗が出る。怖い思いをすると足元がすくむ。血の気が引いて顔が青ざめる。緊張すると手に汗を握る。顔が赤くなる。怒ったときに顔がつり上がる。心臓がドキドキする。笑ったらお腹が空いた。
精神活動全体の100%は、表面意識が10%、潜在意識が90%の仕組みになっています。
この様に日ごろの生活で働く10%の表面意識は人間の体に備わった五官、眼で見ること、耳で聞くこと、鼻で嗅ぐこと、舌で味わうこと、皮膚で感じることなどの感覚と直接つながって連動しているのです。
つまり、表面意識はこの五官と密接に関連して各細胞意識へと影響を与えていくことになります。
この様な意味から私たちの執着した心、拘り過ぎた日ごろの精神活動など不調和な心の使い方が如何に体の細胞意識を乱すことになるかということを深く知る必要があるでしょう。
したがって、先天性の場合を除いて、病気の大部分は日頃の10%の表面意識の在り方にその原因をみることができます。
また表面意識(心)に原因が見当たらない細胞の病気は伝染病を除いて多分に肉体遺伝性の場合が多いのです。
人間の魂意識(90%の潜在意識)は天から頂いたものですから、本来は調和されたものであって、それが起因して身体の病気をするようなことはないのです。
つまり、意識の中心である心は病むことがないのです。
このような意味から心だけをみるならば本来病気は無い事になりますが、しかし、現実に病気はあります。
病気の原因はここまで述べてきましたように、怒ったり、愚痴を言ったり、不満の思いを溜めこんだりというような争いの想い、対立感情にあるのですが、その感情の根本は想念にあります。
この想念というものは人間の個性ともいえますが、傾向性(心の癖)からきています。
言葉を変えるなら(カルマ)と表現できます。
こうしたカルマが10%の表面意識を通して想念帯に曇りとなって心の病巣をつくり、肉体的な病気にまでなって現れてくるのです。
また仮に、生れてから死ぬまで心を正しく調和して生きた人がいるとしましょう。
その人が病気をしないのかとなると、やはり病気をします。
ウイルスや伝染病によるものもあるでしょうが、生れてからが立派な人生であっても、先天的(前世)なカルマが表面に出てきた場合です。
この世は魂(心)を磨きカルマを修正するための厳しい環境ですが、皆それを承知で修業の機会を許されて再びこの地上に命をいただいてきたのですから、病気は後天的(生れた後)な理由だけではないのです。
但し、もって生れたカルマは人それぞれ差異があります。
先天的(過去世)のカルマを後天的(生れた後)善なる調和された生活によって十のものを五にすることも三にすることも可能であり、そのことによって悪と善の相殺作用が働き魂のステージがステップアップすることになります。
しかし、逆もありで、五官と10%の表面意識に翻弄されて囚われ、執着し、業の上塗りをし、心を汚して還る人たちが多いのです。
このような人たちはあの世に還ってから猛反省をする修行が待ち受けています。
人はこの世で悟ったとしても、肉体的な病気から全く解放されるということはないのです。
ただ、このように拘(こだわ)りがなく、調和されていて、いつも気づきのある人は、うつ病、パニック障害、摂食障害(過食症、拒食症)統合失調症のように心の病に侵されることはまずないのです。
また、人間は『仏のような人』、『生き神様』といわれても神になることはできません。
悟りに限界がないように、過ちは人間に常についてまわるものでしょう。
病気の一つは純然たる肉体の疲労と消耗によるもの。
二つは精神が先走り肉体が付いていけない場合によるもの。
三つは先天的カルマ(過去世の業)によるものなどですが、
いずれにしても病気は根本的想念の在り方に起因するものが多くみられるものです。
私たちが日々の生活を経済的、物質的な豊かさだけを追い求めてエスカレートさせると決まって家庭内のトラブルや病気が出てきて、これまでの生活が一変して困窮したものに変わってしまうケースは世の中にたくさんあります。
無理をせず、笑顔で暮らせる生活で、足ることに気づけば、これは大きな悟りです。
体は病んでも人間、心まで病んではいけない。病で気づかされることもまた多いものです。
逆境をチャンスに変え、悪を善に変えていく生き方は限りなく自らの魂と周りの人々の心を穏やかに成長させ、自らも死の際には、この上ない喜びに満たされて天に還るであろう。