人類の悩み

私はこれまで、という言葉を用いることは滅多になかったが、今回は質問者の問いに正しく答えるために、どうしてもその言葉を使わずに真意を伝えることは困難だと考えました。その点をご理解いただきたい。

質問『唯一の存在である神はなぜ、宇宙をはじめとして万生万物を創り給うだのだろうか。もし、神一元の光明世界であるなら、人類は今日のような苦しみ、悩み、悲しみなどを味わわないでも済んだと思いますが、どのように理解すればよいのであしょうか?』という質問をいただきました。

さて、現象界(物質的3次元世界)はなぜできたか。

それは唯一の存在である神の意の具現化のためということでしょう。

万生万物はそのために現われ、相互に関連し、依存し合い、循環を繰り返し、この現象界を支えています。

サバンナのライオンも牛も狼もウサギも木々も、そして 魚介類やプランクトン、微生物に至るまで、この現象界を末永く生命ある活動の場とするためにあるわけです。

人間がこの地上に生をうけ生活を営むようになったのも、神の意を具体化し、魂の向上を目的とし調和ある地上楽園をつくるためです。

人類の苦しみ、悲しみは、ではどうして生じたのか。

人間には動物や植物とはちがった創造行為が与えられ、その能力を有するものであるが故に、片寄った知識、感情、本能、理性、知恵に苦しみ、悲しみが一方において生じてくるのです。

苦の原因は六根という煩悩、つまり、見たり、聞いたり、話したりするうちに心のなかに我執が生じ、自己中心となって自分を押し通す考え、思い、わだかまりが苦しみをつくっているのです。

人間から自由にものを創造する能力を抜き取ってしまえば、こうした我執も生じてはこないでしょうし、植物や動物とあまりかわりません。

他の動物のように、本能と感情だけの世界で生活するならば文明も文化もつくられないだろうし、反対に苦しみもズッと少なくなり、喜びも知ることはないでしょう。

愛する者との別れに際して、人間は悲しみ、苦しむのですが、これは人間が人間たる故の証であります。

苦しみ、悲しみをの責任に帰するのは人間のわがままであり、我執からくるものです。

自分を反省し、生かされているという事実を知ったならば、少なくとも自己の不平不満からくる悩みは解消するものです。

不平不満や悩みは自分にさまざまな欲望があり、もの事を相対的にながめ、相対の立場でしか、もの事を考えられなかったり、行動できないからです。

相対的というのは自分と他の比較であり、他と他の比較のことです。

皆とは違った才能があるのに、それを生かす道をアドバイスしても皆が進学するから自分も専門学校に行きたいと考える。

家庭の経済状態の範囲を超えて、返済のメドがない借金をしてまで、高学歴でより良い企業に就職したいと大学を出て、間もなく結婚した女性。

人類というより、まず自分の心から正して行くことが根本です。

人のさまざまな動きをみると、自分がいくら正しく生きても、人が自らを正してくれなければどうしようもない、と思う人がいますが、本来は人は人、自分は自分です。

厳しいかもしれませんが、人が正してくれなければと思ううちは、まだ自分の存在も、生き方も、心も、未熟です。

人類の一人一人が、他人を見て他人が正さなければと言っていたのでは、いつになっても苦しみは解消できないでしょう。

宇宙は自分の心のなかにあるのです。

森羅万象は己のうちにあります。

苦しみ、悲しみは 、他人ではなく自分です。この点をしっかり理解してほしいのです。

ともかく人間は、ものをつくり出す創造能力が与えられ、その能力ゆえに苦しみ、悲しみをつくり出していくわけです。

本来の自分にかえれば自縛の心から解放され、それこそ、自由な天地がひらけてきます。

人のせいにせず、自分の心の動きを正していかなければならないだろう。

人間の心には神の意思が存在しているのですが、こだわり、執着し、不満、愚痴、怒り、恨み、嫉み、驕り、傲慢、偽善、などの心を持った時に苦しむようにつくられているということだ。

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