錆びた心・輝く心

心の光

自家用軽トラックのテールランプの縁に錆(サビ)が浮き出てきたので取りあえず鉄部用の油性塗料を塗って間に合わせた。

しかし、ひと月もしないうちに塗料の下から錆が浮き出てきて茶褐色になってしまう。あたりまえのことです。塗装の基本から外れているのだから。

さて、人間の心がある程度の高いステージにまで成長したならば、自在な心、即ち、調和された心というものを忘れたり見失ったりするものだろうか。

あるいは、生涯にわたって高いステージのままで変わらずにいくものだろうか。

きょうは、このことについて考えてみるために、視点を変えた事例を述べてみます。

金属、特に鉄の場合は、非常に酸化しやすく、雨風にさらして放置しておくと、酸素と、鉄の表面が化学変化をおこして酸化鉄、つまり赤錆(あかさび)に変わってしまいます。

この酸化した鉄は、本来のもっている鉄の性質を失って、もとの鉄にはもどりません。

錆びたままの鉄に、いくら表面塗装をしても、やがて、鉄の表面の錆が浮き出てきて、塗装の皮膜を破り、また赤錆が表面に出てくることになります。私の軽トラック事例がそれだ。

実は、人間の心も同じことがいえる。

相談者が体の病気を治したい、ADHD(注意欠陥障害)や、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を治したい、うつ病を治したい、過食症を治したい、パニック障害を治したい、アルコール依存症を治したいといってくるのですが、皆一様に内科や、心療内科や、精神科に通い投薬治療を受けても改善できないでいるケースが非常に多い。

特に精神的疾患の場合や依存症の場合は、心の錆(さび)を取らずにいくら塗装という薬で処置しても、その他の対策を講じても再び錆である症状が表出してしまっている。

医学的に、発達障害と言われているような症状でさえも、接し方によっては本人の反応が変わって穏やかな表情になったり、行動に変化が生じてくるものだ。

錆びた金属の表面を綺麗なものにして再生したければ、先ずはキレイに錆を落として金属の表面を磨くことから始めなければないだろう。それから下地を塗り、メッキをするなり、塗装をしなければならない。

人間の心も、『幸せな生活をしたい』、『苦しみから解放されたい』、『病気から解放されたい』とは思っても、今までの生活のなかで心に積もった錆を落とさないいままに、あるいは心の癖を改めないままに新たな情報に振り回されたり、対策をとったところで、結果は差ほどのものではなく、一時的によくなっかにみえても何か問題があれば心を乱し、再び苦悩のなかに身を置くことになる。

その意味では、肉体的な病気も同様のことがいえる。

病を癒さんと欲するならば、先ずは、心を調えることから始めなければならない理由はここにある。

心を調えるには、心の余分な情報知識拘り捨てることから始めなければならない。

しかし、心の病に苦悩している人の場合、自分のなかに拘り、執着があることにさえ気づいていない人が多いのである。中にはそのことを伝えても認めないばかりか、否定する人までいる。

自分に都合の悪いことは認めたくないという想い、これは自我であり、自己保存ともいう。いわゆる人間のエゴです。

どんなに都合の悪いことでも、認めることで初めて道は開けるものだ。

そして、否定をして逃げることは、再び同じような局面に立たされることになる。

それでは何故、心を調える必要があるのかとなると、人間は心(魂)が主(あるじ)であり、肉体は従者であるからだ。つまり、心のあり方によって体の状態が大きく左右されるということである。

肉体の病気は然り、先にあげたような心の疾患の場合は特に、この仕組み、人体のメカニズムである主従関係を無視した対処では好結果を得ることができない。

私たちは、体調が悪いと言っては心が沈み、人の言動に左右されては不満や、愚痴、怒りをもって簡単に心を曇らせてしまう。

これは、肉体の五官中心に物事を考える習慣ができていることと、他人の言葉に翻弄されやすい自我心(自己中心、執着、自己保存)の産物によるものである。

自我心は、体調が良くないからといって口をとがらせ、思うようにならないからといっては膨れっ面をするが、このように決して心まで腐らせてはならない。

しかし、この錆ともいえる心の曇りは簡単には取り去ることもできず、晴らすこともできない、やっかいな存在でもあります。

錆を落とし、心を晴れやかにするには、いかにして正しい基準に沿った生活日々実践するかということが決め手となるのです。

だが、どれほど知識を詰め込んでも知識では悟ることはできず、心に真の安息が訪れることもない。知識は道標にすぎないからだ。

情報や知識は便利なものではありますが、それは道標であって道ではありません。
道は自らが歩いていくものです。歩かないと前に進めないのです。
この道を歩くということに人生の意味があり、気づきが生れます。
道がなければ自らが道をつくればよいでしょう。
同じところをグルグル回るだけの生き方は改めなくてはなりません。
道を行くための地図をひろげても歩かなければ体験できないだろう。
体験できなければ実感することができません。
実感することがなければ真の気づきがありません。
人生の意義は経験すること、体感すること、実感することです。

ここに、心を調えるための最も基本となる生き方を具体的に示したページを紹介いておきます。心の眼を開く・偏見からの脱却(八つの正しい基準)を参照してください。

そして、執着した想いや行為を反省し、暗い想念、つまり心の錆を落とさなければ、人生のなかに諸々の問題が続くことになり、いつも気苦労が絶えない生活となるということ。

あなたの知り合いにいないだろうか、『一難去って、また一難』という人が。

どうしたらこの苦しみから逃れられるかと様々な知識を得ても、様々な手を打っても、それは表面だけを覆う塗装をしたようなもので、またすぐに錆が浮き上がってしまう。

下地がしっかりできていないからだ。

心の錆を取り去るには、偏りのないバランスのとれた中道の心で反省をし、間違った想念と行為を改めるという勇気と決心が必要である。

自分が変わるということの難しさを克服するには、不動の決断と行動力があってこそ初めて可能となるものだ。

そのとき、心の錆は落とされて、その曇りも晴れ、真の光によって内面より満たされ輝くのである。

二度と誤りを犯さないという決心をした生活が、必要不可欠な条件といえよう。

しかし、ある程度の境涯まで心のステージをアップすることができた人間でも、一瞬の心の魔に負けて、生活が正しい軌道をはずれてしまえば心の自由自在は失われてしまい、再び悩み苦しみの絶えない生き方になってしまうものだ。

自由な心で霊的能力もあり、光り輝いている心の人が、ある日突然、人が変わったように言行不一致になることで、増上慢になったり、心と行ないが不調和になると、心の曇りによって、同類の邪悪な者たちが忍び寄ってくる。

特に、心の霊道が開いている人の場合はリスクもあり、どれほど悟っても常に自分を戒めて律する心を忘れてはならず、決して驕りがあってはならない。

人間の驕りや増長慢は、イライラの心、怒る心、そしる心、妬み心、物欲、地位欲、金銭欲などが強く芽生えて、他人を意味もなく軽蔑してしまうようにもなる。

これに反し、人間の正しい心の法則を悟っている人達は、家族も円満に調和されて、常に偏りのない中道を尺度としているため、感情のもつれがないのである。

それも、自分の思っていることと行なっていることに対して、自分自身が、正しい心の規準を知って生活しているからだといえる。

鉄の表面にパーカライジングという化学処理をほどこすと、塗装した後も錆が出にくくなる。
これと同じように、正しい基準に沿ったに生活をすることは、私たちの心から常に黄金色の光が放射されることになり、周りの人たちを光のなかに包み込むことになる。
鉄の表面も、常に磨いていれば、錆びることはないし、金剛石も、磨けば磨くほど光沢を増してくるのである。
正しい基準を心の糧として、日々の生活を実践する努力をすれば、私達の心はより広く、大きく丸いものに磨かれて、光の天使達と自由に、あの世のことも見聞することができるようになるということである。

幼い頃に天才といわれた者が、二十歳すぎればただの人、ということわざがあります。

心に曇りのないときには、指導霊や守護霊の協力を得て、天才的な力を発揮できるが、次第に心を曇らせるに従って、指導霊達はその指導ができなくなってしまう。

心の波長が同調できないからだ。つまり凡才になってしまう。

道は、心を正して、偏りのない実践の努力を積み重ねる以外には開かれないといえよう。

指導霊や守護霊の力と、私達の心と行ないは、丁度、自転車の両輪のような関係である。

前進するためには、ペダルを踏んで前輪で方向を定めるように、正しい努力のないところに、良い結果は生まれないということである。

心の世界の法則も、これと全く変わりはない。

原因と結果、そして、作用と反作用という宇宙の大自然の法則が、私達の心と行ないを支配しているということだ。

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