無言の慈しみ
頼富雅博 (鳥取市・教員・五十一歳)PHPへの投稿コラムから。
言葉ではないおばあちゃんの慈愛によって、一人の苦学青年が心豊かに育っていく内容に感激して掲載させていただいた。
下宿のおばあちゃん
その下宿は京都の真ん中、新京極の賑やかな通りを少しそれた路地にあった。当時の私は四国の田舎から京都の大学に出てきて一年余り。
京都での暮らしにも慣れ、できれば古都ならではの下宿に住もうと思い立ち、見つけたのがこの下宿だった。
格子戸を開ければ、奥に細くつながる鰻(うなぎ)の寝床で、庭を隔てて母屋に向き合う離れが私の新たな住まいとなった。
江戸時代から続く朱子学(しゅしがく)の私塾だったとのことで、黒光りのする廊下や壁紙に見える漢詩の墨痕(ぼっこん)は往時(おうじ)を偲ばせるものだった。
大家のおばあちゃんは齢(よわい)八十になる方で、こちらが苦学生なのを察してか、「お家賃はいつでもあるときでよろしい」と言ってくださった。
同時に私が経済的な理由で大学が終わると、夜間運送会社で働いていたために帰宅が深夜になることも快く了解してもらえた。
焙烙(ほうろく)に入れられたふかし芋
こうして始まったおばあちゃんとの同居生活。内風呂がないため、自然と近くの銭湯へ朝ぶろに行くのが私の日課となった。
さっぱりした体で下宿まで帰ってくると、決まっておばあちゃんが玄関で打ち水をしている。そして私の顔を見ると、「ほっこりしてきやはったなあ」と声をかけてくれた。
その頃の私には「ほっこり」という言葉の意味もわからなかったが、その優しい響きがすっと春風のように心に入ってきた。
暮らし始めて気がついたのは、この下宿が 現代とは隔絶した空間だったこと。電話もなく、母屋の台所で煮炊きに使われるのは古い大きなおくどはん(かまどのこと)だった。
今では笑い話だが、学友からのコンパの誘いも連絡方法がないので、毎回電報で届いた。
しかし、私にはそんな不便さも下宿が与えてくれるゆったりとした趣に比べれば何ということもなかった。
おばあちゃんは幼い時にこの家に養女として入り、結婚もせず、ひたすら家を守るために生きてきた人だった。
頼るべき身寄りもなく、天涯孤独ということもあったのだろうか、私のことを実の孫のように遇し、何くれと世話をしてくださった。
葵(あおい)や祇園といった祭礼の時には、おくどはんで作った手づくしのお寿し司や煮しめ、ちまきなどを振舞ってくれた。
ある年末、故郷に帰省するお金がなく、下宿で越年をした時にはわざわざおせちを差し入れてくれた。
そんなおばあちゃんとの思い出で一番忘れられないのは、ある冬の夜のこと。いつものように運送会社での仕事を終え、深夜帰宅した。
もう休んでいるだろうおばあちゃんを起こさないように、そっと母屋の横を抜け、部屋の上がり口までくると、ふきんにくるまれたものが置いてある。
開けてみると、それは 焙烙(ほうろく)に入れられたふかし芋だった。
添えられたメモ用紙には「お疲れはんどした。ゆっくりお上がりやす」と、おばあちゃんの添え書きがあった。
まだじんわりと温もりの残る焙烙。
ありがたく芋を頬張っていると、なぜか涙がこぼれた。
なぜ自分は泣くのだろう。
不思議に感じつつも、しばらく止まらなかった。
春風のように人と接する
この下宿に越して以来の、おばあちゃんが私にかけてくれる言葉の優しさは、まさに春風そのものだった。
おばあちゃんがいてくれるおかげで私は孤独や寂しさを感じることなく、学生生活を謳歌することができた。
私には焙烙の温もりがそのままおばあちゃんの心だった。
やがて、大学も卒業し、思い出深きこの下宿にも別れを告げた。
そして郷里の高校で教員として私は働き始めた。
そんな中、京都から一本の電話が入った。
電話の主は病院の方で、おばあちゃんが入院していることと私に会いたがっているという知らせだった。
慌てて病院に駆けつけたが、おばあちゃんはベッドに力なく横たわり、ふとんからのぞく腕は枯れ木のように細かった。
変わらないのは笑顔だけ。私が声をかけるとうれしそうに腕を出し、 お互いに手を握り合ったまましばし時を過ごした。
おばあちゃんの手は小さく、皺(しわ)だらけ。
この手で家を守り、そして私の世話を焼いてくれたのかと思うと、後は涙で言葉にならなかった。
この病室での再会がおばあちゃんに会う最後となった。
あれから三十年近くの歳月が流れた。 あの下宿は跡形もなく、 もう 無機質な駐車場になっている。
そしておばあちゃんとの思い出を辿らせてくれるものも手許には何もない。
ただ、私の心にはおばあちゃんが与えてくれた春風が昔同様に吹いている。
「春風のように人と接する」。おばあちゃんが身を以て示してくれたこのことが、今の私の人生目標になっている。
天国のおばあちゃんにお礼も言えぬ我が身だが、自分もこれからの人生の中で出逢う人々に春風の心で接していくことがせめてものおばあちゃんへの感謝だと思っている。
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