縁(えにし)


きょうは作家・浅田宗一郎氏の読み切り短編小説からご紹介します。

家族

私は、小さなころから子どもが好きだった。「美保ちゃんは大きくなったら何になるの?」ときかれたら、必ず、「お嫁さんになってかわいい赤ちゃんを産むの」と答えていた。

大学は幼児教育を専攻した。そして、卒業後は幼稚園で働くようになった。幼稚園の仕事は一日十時間を超える。休憩もほとんどない。

だけど、子どもたちの無邪気な笑顔をみると、いつも新たな力が生まれた。

そんなある日、幼稚園に背広姿の男性がやってきた。名刺には、『小坂和也』と記されていた。肩書は文房具メーカーの営業主任だ。

私は幼稚園の応接間で和也から子ども用文房具の説明をうけた。そのあと少し雑談をした。

「へえ、先生とぼくは同い年なんですね。えっと、関係ないですけど、先生の目ってすごく大きいですよね」、「私、子どものころから、『ネコみたいな目』っていわれてるんです」

「ネコかあ。うらやましいな。ぼくなんて、目は細いし、焦点は合ってないし……」和也の左目は、斜視だった。「それに、頭は悪いし、デブだし、背も低い」私は思わず吹きだした。

たしかに、目の前の男性は小太りで足が短い。お世辞にもかっこいいとはいえない。

だけど、和也は自然体で気取ったところがまったくなかった。私は、そんな和也に好意をもった。

そして、付き合いがはじまり、出逢ってから二年後の二十六歳のときに結婚した。

その翌年、妊娠した。「あなた、今日、先生から、『赤ちゃんは女の子です』っていわれたわ。

私ね、『えにし』と名づけたいのよ」

「えにし?」

「そう。縁(えん)とかいて、『えにし』と読むの。大切な人と強い絆を結んでほしいという意味よ」

「小坂えにしか。ちょっと変わってるけど、いい名前だと思う」

和也が私のお腹をなでる。「えにし。パパに似たらだめだよ。ママのような大きな目のかわいい女の子になってね」

和也は微笑んだ。その笑顔をみたとき、私は和也が優しい父親になると確信した。
私はお腹が大きくなってからも、自分の意志で仕事を続けた。

和也は、何度も、「ゆっくり休んだほうがいい」といった。

そして、妊娠三十三週目(九ヶ月)に入ったとき、激しい陣痛におそわれた。私はすぐに和也の車で病院にむかった。五時間後に赤ちゃんが産まれた。

だけど……。私が抱いたえにしは息をしていなかった。私は目の前が真っ暗になった。

そして、自分を責めて、責めて、責めぬいた。(全部、私のせいだ。私かもっとはやく仕事を休んでいたら、えにしのことを第一に考えた生活を送っていたら、絶対、こんなことにはならなかった……)

それから、私は赤ちゃんを産むのが怖くなった。その気持ちに呼応するように妊娠の兆候もなくなった。

病院の先生は、「体に問題はないと思います。心が妊娠を拒否しているのかもしれません」といった。

月日が流れていく。結婚して十年が過ぎ、私たちは三十六歳になった。私はえにしが死んでからずっと闇の中にいる。笑うこともあまりなくなった。

和也はそんな私を優しく見守り続けてくれた。(私たちに子どもがいたら、和也は理想の父親になっていたにちがいない……)私は和也に対して心から申し訳なく思った。

さらに時間が経った。二人は四十歳をむかえた。

私自身、もう赤ちゃんを産むことはできないだろう……。

私は人生の半ばに立って、和也と自分の将来を考えてみた。和也は子どもが欲しかったはずだ。

だけど、縁(えにし)が死んでからは、決して、そのことばを囗にしなかった。

私は充分、和也によくしてもらった。

こんどは、私が和也の幸せに目をむける番かもしれない……。

「別居?」私の提案に和也の顔が強張った。

私は正直に全てを話した。和也は、「子どもがいなく てもかまわない」、「責任など感じなくてもいい」といった。

だけど、私の意志はかわらなかった。 「私たち、一度、一人になってこれからのことを考えた方がいいと思うの。あなたも新しい未来がみえるかもしれないわ」  

六月十日。私は最低限の荷物をもって家をでた。引っ越し先は二間のアパート。幼稚園には自転車で通うことにした。そして、和也とは、月に一度会うことになった。

三ヶ月が経った。九月十二日午後七時。私が自転車でアパートに帰ってくると、となりの一軒家から子どもの笑い声がきこえた。正面の窓があいている。

「パパ、ちゃんと写真とった?」

「ああ。いま、ブログにアップするからな、ネコちゃん、みんな、いい人に飼ってもらえたらいいね」

背伸びして家のなかをみる。十歳ぐらいの男の子が小さなネコを五匹抱いていた。

(里親さがし、かな?)私はアパートの部屋にもどってパソコンを ひらいた。ネコのブログを検索すると、「猫・五匹・里親」というキーワードで、あのネコたちの写真がヒットした。

ブログのタイトルは、『シロとチャコの日常』だった。シロがお父さんでチャコがお母さんだ。五匹のネコはひと月前に誕生していた。みんな、白に茶色の模様がはいっている。

(あ……)私は一匹のネコに目を奪われた。このネコは茶色の模様が体にしかない。顔は真っ白だ。そして、左目が斜視だった……。

それから、私は、毎日、『シロとチャコの日常』をみるようになった。五匹のネコの里親は、次つぎと決まっていった。ネコが家を去るたびに一つ写真が消えた。

だけど、顔が真っ白で斜視のネコだけは、いつまで経っても里親が決まらなかった。

11月15日午後6時。私は喫茶店で和也 と話している。別居して五ヶ月が過ぎた。外は激しい雨がふっている。

「あなた、最近変わったことあった?」

「何もない。いっとくけど新しい未来なんてありえないから。美保、はやく戻ってこいよ」

私は返事をせずに、窓越しに雨をながめた。

和也と別れてレインコートを着る。自転車で走りだすと吐く息が白かった。十分後。アパートに到着した。

軒下でレインコートを脱いでいると、となりの家から男の子が自転車を押してでてきた。その目に涙がうかんでいる。前かごに入れたバッグのファスナーが少しあいている。そこから白い子ネコの顔がみえた。

(まさか……)男の子の自転車が走りだす。私はもうI度自転車にのってあとを追いかけた。

ニキロほど走ったところで男の子は自転車をおりた。目の前に大きな公園がある。男の子がバッグをかかえて中に入っていく。私は見つからないようについていった。

男の子は、何度もためらったすえに、樫の木の根元にバッグをおいた。

そして、「ごめん。ごめん!」と叫ぶと、きびすをかえして駆けだした。男の子がすぐそばを走りぬける。私は、その姿がみえなくなってから外灯に照らされたバッグに近づいていった。

横なぐりの雨のなかで、小さなネコがバッグから顔をだしていた。左目の焦点が合っていない。

このネコは、斜視だったから里親がみつからなかったのだろう。ネコの細い体がふるえている。見開いた目がうるんでいる。私はこんなに悲しい表情をしている生き物をはじめてみた。

バッグの前に座ってネコを抱きあげる。「ネコちゃん、泣かないで。もう大丈夫だから。私が、ずっと、ずっと、守ってあげる」

この日から、私は、ネコと暮らすようになった。アパートはペットを飼ってはいけない。引っ越しも考えたけど、ネコはほとんど鳴かなかった。

「今日は本物のお魚よ。たくさん食べてね」ネコと共同生活をはじめて一週間後の夜。私は手のひらにのせたシヤケをネコにさしだした。ネコと視線があう。大きな瞳。

だけど、和也と同じように左目の焦点かすれている。「ネコちゃん。じつはね、私の旦那さんの目もあなたと一緒なのよ」そのとき、頭のなかで、「会・わ・せ・て」 という声がきこえた……。

11月25日、午後七時。私はネコを紹介するために、和也をアパートにつれてきた。部屋に入ると目の前でネコが出迎えてくれた。和也がネコを抱きあげる。

「すっごくかわいいな。あ、ネコの左目、焦点が合ってない。それに目が大きくてクリッとしてる。ぽくと美保にそっくりだ」

あらためてネコをみる。たしかに、このネコは二人の特徴を合わせもっている。私たちの赤ちゃんみたいだ。「名前は?」

「最初に、『ネコちゃん』つてよんで、いまもそのままなのよ」「それじゃ、『えにし』にしよう」私は息がつまった……。
和也はネコに頬ずりしながら、えにしお帰り。パパとママでちゅよ」といった。

ネコがのどをならしながら私のほうをみる。(た・だ・い・ま)また、頭のなかで声がした。(ママ……。あたしは、ママのことが大好きだよ。だから、あたしのことで、もう苦しまないで。これ以上、自分を責めないで)

幻聴?いや、ちがう。これは、えにしの声だ。えにしがネコの姿をかりて私の心に語りかけているんだ。

(あたし、ママの赤ちゃんでよかった……。すごく幸せだった)その瞬間、視界がゆがんだ。涙があふれでた。

私は、ずっと、えにしから恨まれていると思っていた。それが、いま、えにしは、「幸せだった」といってくれた。そのことばだけで救われる。心の闇が晴れていく。

(あたし、ひとつお願いがあるの……。ママ、赤ちゃんを産んで)赤ちゃん?(ママは子どもが大好きでしょ。赤ちゃんができたら、ママとパパはもっと幸せになれる。だから、ママ、赤ちゃんを産んで)

和也の腕のなかで、ネコが目を細めて微笑んでいる。その姿をみたとき、すべてがわかった。

えにしは、私と和也の絆を結びなおすために帰ってきてくれたんだ。

胸に手をあてる。不思議なことに、妊娠に対する恐怖が消えていた。

いまの私なら、高齢出産のリスクも乗りこえられるだろう。

私は、和也の正面に立った。[あなた、いろいろごめんなさい……]ひと呼吸おいて、しっかり視線をあわせる。

「もう一度、私と暮らしてもらえますか?」和也は、「当たり前だ。美保のことはぼくが守り続ける。どんなときも一緒だ」といった。

そのことばをきいて胸があつくなった。「和也……。ありがとう」私はありったけの愛情をこめていった。そして、両手を広げて、力いっぱい和也を抱きしめた。

☆ブログとしては長文でしたが、お読みいただきありがとうございます。

子どもがいても夫婦で諍(いさか)いをして暮らす家庭もあり、子どもがいなくても別な事に使命感をもって生きる夫婦もおります。

流産や死産や不妊というできごとは女性にとって大変な肉体的負担と責任感をいだかせ、苦しみともなることを、特に男性諸氏は知っておかなくてはならない。

このような時こそ文中の和也さんのように妻の心中を察して思い遣り、優しく支えなければならないのが夫の役目ではなかろうか。

特に不妊治療の場合は、女性にかかる肉体的、精神的負担は男性の比ではなく、葛藤のなかで長期にわたって耐えなければならず、苦しみ以外の何ものでもない。

費用も大きな金額であり、結果的に妊娠できないとなったときに、お金をかけたのに、という自責の念が心を窮屈に追いやる場合もあるだろう。

夫婦の縁(えにし)は、単なる偶然によって結ばれたのではなく、深奥の部分ではお互いがこの世に誕生する以前に天上界において約束していたことなのである。

それも、すべては相互の心(魂)の向上という大きな目的のために、お互いの契によって為された約束を地上で果たしたということだ。

心(魂)の向上という人生のためには、自分だけの都合だけで離婚してはならず、どうすることが二人の人生にとって最善の道であるかを深く考える必要があるだろう。

二人の出会いから始まった愛を、その時の自分勝手な都合で失ってはならないのである。

その意味では、パートナーが望む、共に暮らす生活に応えることも愛であろう。

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