正念と邪念
念は正しく使わなければならない。
一つの事が成就するということは、その前に思いが最初にある。「こうしたい」、「こうなりたい」という念、思いは、ものをつくり出します。「想像」は「創造」なのです。
たとえば、小さい頃に極貧の生活を体験したので、大きくなったら大金持ちになるのだと心に誓っていた人が、大きくなったら守銭奴(お金を貯めこむことばかりに執心すること)に徹し本当に金持ちになっていく話はたくさんあります。「念」がものをつくり出すとは、このようなこともそのうちの一つです。
本来、念は、「その人の分」にかなった念であるかどうかが問題なのです。その念の在り方ゆえに、心までダメにしてしまっては何のための人生かわかりません。
私たちは何の意識もせずに念を働かせていますが、『正念』に対して「欲念」、「邪念」があります。その念が正念であるか、欲念、邪念かの判断は、その念によって、自分の心が安らぐか、そして、その念によって「調和」するかという二つが正しさの基準です。
その念によって、自分は満足しても、家庭はガタガタというのでは、それは正念とは言い難いのです。自分が間違っていない、自分が正しいといっても、相手を不愉快にさせ、不調和にさせるような言動は、やはり正しい念からの行動とはいえないのである。
不調和な念を持つ人は「類は友を呼ぶ」というように暗い地獄霊や動物霊を呼び寄せてしまいます。
我が心の師は言っています。
『祈祷師、拝み屋や海外のブラック宗教の中には念の力によって人を祈り殺してしまうものまであるようです。祈り殺すという「邪念」によって、相手も同じ「類は類」、同類の人であれば、念によって祈り殺すことも可能かもしれません。だが、もし心美しい人を邪念によって祈り殺そうとした場合、その念は、発した人間の方へ勢い込んで帰ってくるので、ついに祈り殺そうとした人が倒れてしまうことになります。』といっている。
これは、まさしく反射鏡と同じです。心を美しく磨いている人は、美しく磨いた鏡のごとく反射して相手に帰っていくものです。
心の曇った人や曇った鏡は、発信された邪念を受け、吸収してしまう。だからそこに現象化されてしまうのである。
念(波)の発信と受信
受信機と発信機は人間がっくり出したものです。ラジオやテレビは人間がつくったものです。人間の中には、その作用がすべて整っています。ただそれを自分が受ける能力を持っているか、いないかだけの問題です。
みなさんの心の中が、人を恨み、妬み、そしる、そして怒る心をつくったり、あるいは自分自身がより大きな欲望、足ることを忘れ去った欲望が多くなると、心にスモッグができてしまいます。それが多くなればなるほど、盲目となるのです。
「念の速度は光より速い。念の世界には時間、空間がない」
念が通じるということ私達が念ずると、その念・思いを私達の守護霊(過去世)が相手の守護霊に伝え、相手の守護霊がその人に内から知らせ、囁くのです。
念を送る人の心が不純であったり、受ける人の心が頑固であると念は通じません。
即ち不純なものは守護霊が伝えませんし、相手の守護霊はその人にいくら伝えようと思っても、その人が頑固であれば守護霊の囁きを聞くことができません。
ですから、念を送る人も受ける人も、心が愛に満たされて、きれいで、すなおでなければならないという理由がここにあります。
これまでのスピリチュアル分野や宗教団体では、その人のために念ずると、こちらの念が直接相手に通じるものだと説いてきました。でも、そのようなことはありません。
もしそうだとすれば、いつでも、どのような所でも、どのような時でも念は通じるはずですが、決してそうはならない。通じたり通じなかったりするのです。
念が通じることの正しいものは守護霊による作用なのですが、困るのは、守護霊ではなく、動物霊や地獄霊の協力によって念が通じることなのです。
簡単な言葉や図は動物霊や地獄霊にとっても簡単にできますが、その結果たるや、これまでに述べたことによっておわかりいただけると思います。
かつて漁船が大しけのために航行不能となり、無線も使えず漂流して行方不明になった事件がありました。留守宅の家族へは、夢枕に立ち生存を知らせるような感じが続き、それから一ヵ月ほど経ってから奇跡の生還をしたという話がありました。
このような念の発信受信はどうして起こるのかというと、念はそのまま通じるのではなく、守護霊(潜在意識)を介して行われるということなのです。
時間、空間はない念の世界ですから、場所はどこであろうと、通じることになります。
念のことで思い出すのは、かつて米ソの対立があった頃、電波も届かぬ深海にもぐった戦略原子力潜水艦を霊能力で探し出し攻撃を加えるなどの「心霊戦争」なる研究をやったようですが、このような心霊力の応用は実験としては成功しても、いざ本番という時には成功することはないのです。戦争ごとき争いに加担する念の世界ではないのです。
心の内から聞こえる声
心の底の底から囁いてくれる守護霊の声に耳を傾けてください。
守護霊の声は、肉体の耳に外から聞こえてくるのではありません。
外から聞こえてくるのは、動物霊か憑依霊です。また心の内から聞こえてくるといっても、あなたの心が乱れ騒いでいる時に聞こえてくるものは正しくありません。
正しい守護霊の声は、宇宙創造の唯一なるものに対して、そして万生万物一切のものに対して、すべての人に感謝し、自分の過去の失敗や自分の心の暗さにとらわれなくなって、すなおになって自分が神の子であることの自覚に立った時に、心の内から聞こえてきます。
静かな落ち着いた心になった時に、心の内から囁いてくる声にじっと耳を傾けてください。
最初は小さく聞き取れないくらいであっても、聞く習慣をつければ、その内なる声は次第に大きくなっていきます。
私達が幸福になるためには、私達の心の奥底から起こってくる真実の心を大切にしなければいけないのです。
「こうせよ」という奥底からの心の願いを実行することが、一時、恥かしい思いをすることであっても、金銭的にも物質的にも損をすることであっても、心の奥底からの「こうせよ」という心に順うことです。
そうするとそこから運命がよい方へ転換し展開してゆくのです。
煩悩執着を捨てたあとから忽然(こつぜん)として湧き上がってくる聖なる心、その心のままに行動することが大事です。
これが我が心の師が言われる「勇気と実行」なのです。
虫のしらせ
私達は生活の中で、第六感、第一印象、虫のしらせというような精神作用があることを知っています。また、予感という言葉で言うこともあります。
たとえば、「何かよいことがありそうだ」とか、「今日の旅行はとり止めた方がよさそうだ」というようにです。
心が穏やかで調和されていますと、心の底の底から静かに語りかけてくれます。
この精神作用は守護霊、つまり潜在意識からの作用です。
守護霊は、その人の魂の兄弟であり潜在意識層にあって、地上界に出ているその人の一生を見守り、魂の向上のためにあらゆる努力を払っています。
また、指導霊とは、主としてその人の職業なり現象界での目的使命に対して、その方向を誤らせないよう示唆を与えてくれる魂の友人、あるいは先輩です。
守護霊と指導霊を兼ねてその人を守り指導している場合もあります。
心が穏やかで、心と行いが調和されていますと、守護霊も指導霊も協力を惜しまないのです。反対に不調和ですと、守護霊はその人を守ることができず、これが長期にわたると不幸を招くことになります。それは反省をさせるためでもあるが、不調和な人間と守護霊の心の波長が合わないことにもよる。
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