内省と守護霊

あなたは、塩の味について説明できますか? 塩を一度も味わったことのない人に、言葉で理解させることができますか?
塩は白い水晶のような固体で、主に塩化ナトリウムから組成されている、と説明する人がいるかもしれません。 あるいは、その化学的組成がNaClだと言う人もいるでしょう。
しかし、私ならこう言います。「まず、塩のひとかけらを舌にのせることです。そうすれば、塩の味を知ることができる」と。
では、この塩を味わうために、私たちは何をすべきでしょうか?私たちは、ツルハシを手に取って、塩の鉱山へと向うべきではないでしょうか。と言いたいところですがそれは無理ですから海水を煮詰めて水分を完全にとばすとミネラル豊富な塩ができる。
とはいってもこれも簡単には体験できることではない。しかし、私たちは言語や理論の勉強に打ち込むだけでは不充分なのです。
禅の教えに『冷暖自知』という言葉があります。冷たいも、暖かいも自分で体験しなければ分からないという意味ですが、知識だけでは片手落ちで、何事も体験することが重要だということのようです。
私たちは、私たち自身や生命、そして宇宙と人間についての内なる到達点を目指し、多くの経験をしなくてはなりません。その中でいつも指導者がそばにいて欲しいと思うこともあります。
しかし、そのような願いは、人生を歩んでいく上で、いつも松葉杖に頼っているのとさして違わないでしょう。私たちは人生において生命を知るために本気で、恐れず、勇気をもって“自分自身“と向き合わなくてはならないということです。
私たちを取り囲む世界は、日々複雑性を増し、あらゆる混乱と誘惑がひしめいているため、私たちの注意を散漫にしてしまいます。
しかし、私たちはしっかりと大地に根を張るような決心と不動心を持たなくてはならない。
すなわち、私たち自身にいつも意識を傾注させていかなくてはならないのです。
なぜなら、私たちの人生を織り成すあらゆる事象というものは、何世紀もの時間のなかで変化し続けていく無常なものですが、人間としての状態や経験や目的はいつの時代も変わるものではなく、永遠のものなのです。
ですから自分に内在する心の成長に向けて行動することです。どうすることが最善なのか、違いを見分けられるようになりましょう。それが、適切な結果をもたらしてくれます。
これだけは忘れないでいただきたい・・・「私たちの人生には、“心の向上“以上に求めるべき行いはない」ということを。
幸せとか、不幸とか、試練とか、逆境、裕福、忙しい、暇だ、貧しい、多い、少ない、不足、満足、等々は頂上に登頂するためのプロセスにおけるファクターであって、そのことに目的があるのではない。
また、救われたいとする思いから宗教に盲信や狂信して、かえって迷いのなかにある人も現実にいる。また宗教を持たずとも正しい理性と努力のなかで智慧をしぼり懸命に生きている人もいる。
私は後者を支持するし、自分もそうありたいと常に心に置いて生活しています。
心や想念をクリーンにするための積極的で懸命な取り組みは普段の生活のなかにこそあらねばならないと強く思うのです。そして大きな苦労は大きな成果になります。
調和されたパーソナリティー」を育てることからの恩恵は、物質的な肉体を離れた後も、永く引き継がれて行きます。
自分の物質的な肉体の状態を良く知りましょう。そして、善い秩序を保つようにしましょう。
感情のコントロールが出来るようになると、それが理性的な思考との健全な働きをもたらします。
豊かな感情、調った理性、智慧の3つの意識を備えた自分の「現在のパーソナリティー」は、“経験“を重ねることと、より成長するためのワンステージのようなものです。
人は誰もがこの世に誕生したときから守護霊の助けを受けながら、休むことなく、あなたを刺激し気づかせ激励し、導いてくれています。しかし、守護霊からの協力を得られない理由は、不調和な足ることを忘れた欲、愚痴、怒りです。そして怒りは宇宙の法則から最もかけ離れた感情です。
私たちの最も価値のあるエクササイズである「日々の内省」を例に取ってみましょう。
もし、内省に真剣に取り組めば、あなたが利己的な想いから行動しているか、あるいは、徳目や道義的基準に導かれて行動しているかを、誰でも今まで以上にはっきりと観ることができるようになります。
利己的な言動は、結果として自分自身と同時に、他者にも痛みをもたらすことになります。内省を継続していけば、それらをゆっくりと、「生命活性化の想念」に置き換えていくことができるのです。
次回は内省の方法に触れてみたいと思います。
 

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Posted by kansindo