感謝は心を開く
私のこれまでの人生62年間にどれだけの失敗があるのだろうか。正直、数えきれない。
その数えきれない失敗から学んだこと。とかく失敗すると気持ちが折れてしまったり、やる気をなくしたりしがちなものですが、失敗したところでやめてしまうから失敗になるのであって、諦めずに結果がでるところまで続ければ、それは立派な成功になる。
またその為に常に信念を持って主体的に生きるためには、やはり心静かに、われいま何をなすべきかを考え、そのなすべきことを、ひたすらに為していくことが大切だと思う。
為すべきことを為さないときほど、できないことの理由や弁解をならべたりもする。これではやり遂げることはできない。
毎日の仕事の中において自分を褒めてあげたいという心境になる日を一日でも多く持つことは自分への励みになるものです。そういう日を積み重ねたいものだと思います。
仕事をするに当たっては、まず心を磨くというか、ものの考え方を成長させる必要があるでしょう。
そのような意味から、苦難がくればそれもよし、順調ならば更に良し、という心づもりを常に持ち、人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切ではないだろうか。
そして何年かして気が付いてみれば成長している自分に嬉しくなるでしょう。生きていく様々な局面で、一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。
そうしたいわば紙一枚の取り組みの差が、大きな成果の違いと成長の差を生む。
努力に勝る天才はいないのである。また過去も、現在も偉人のやり方をそのまま真似るというのではなく、それにヒントを得て、自分の持ち味に合わせた、あり方を生み出さねばならない。
私生活においても、仕事においても、人生において、叱ってくれる人を持つことは大きな幸福である。と考えられる人は心の器が更に大きくなるだろう。
そして他人はすべて、自分よりもアカン、自分が上と思うよりも、他人は自分よりエライのだ、自分にないものをもっているのだ、と思う方が、成長するために結局はトクである。
反対に人間の持ちもので一番、危険なものは驕(おご)りである。驕りとはうぬぼれること、思いあがること、慢心すること、いいきになること、をいう。
恵まれた生活も結構だし、恵まれない暮らしも結構、何事も結構という囚われない気持が大切で、恵まれても驕りはいけない。
驕りのある人からは人が離れるし、結局は自分の人生を衰退させる。また考えはするが悩まない、そういうように思考を変えることができ、感じることができれば人生は決して心配することはない。
これまでの失敗の原因やトラブルの原因を問題の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった、尊い教訓になった」というところまで心を開く人は後に進歩し成長する人だと思います。
心を開くとは物事に執着せず素直に謙虚に学ぶこと。
もうそろそろ雪解けがはじまります。春を待ちわび日差しや風を楽しむように人生を楽しむ心があるならば、やがてまた春のそよ風のように、心もやわらいで、生き甲斐も感じられてきます。
人間というものは、気分がとても大事です。気分が腐っていると、立派な知恵才覚を持っている人でも、それを十分に生かせません。
しかし気分が非常にいいと、いままで気づかなかったことも考えつき、だんだん活動力が増してきます。生きる力がこみあげてきます。
感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく。
「ありがとう」と言うほうは何気なくても、言われたほうはうれしい。「ありがとう」これをもっと素直に言い合いましょう。
人は何度やりそこなっても「もう一回」この勇気を失わなければ必ずものになります。
信念を持ち、自分の道を力強く歩めば成功をおさめても有頂天にならず、失敗しても失望しない。
成功した人は、普通の人なら、その困難に打ち負かされるところを、反対に喜び勇んで体当たりしている。
人生にはカメのような一歩一歩の歩みが大切。二歩三歩いっぺんに飛ぼうとすれば、つまずき失敗する。だから一歩が大切。
私は時々、問われるまま正直に答えて62歳というと『若いですね。』といわれることがありますが、10歳も割引してみてくれて照れてしまします。
私は思う。青春とは心の若さではないだろうかと。信念と希望にあふれ、勇気にみちて、日に新たな活動を続けるかぎり、青春は永遠にその人のものであると思うのです。
仕事の話に戻りますが、私は仕事の最中に一人の人をスタッフの前で指導をすることはあっても叱ることはしない。部下の失敗はただ叱れば良いというものではないし、失敗を自覚している時には慰めも又必要です。
失敗は財産となるのです。一方、失敗より厄介なのが迷いです。
何事も迷うということは、一種の欲望からきているところが多い。ああもなりたい、こうもなりたい、こういうふうに出世したい、お金がほしい、物が欲しい、という欲望から迷いがでてくる。
それを捨て去れば問題はなくなる。やはり、人間は足ることを覚えなくてはならい。足ることを覚えれば物を大事にします。粗末にはできなくなる。使えるうちは使い切りたい。
しかし、そのような迷っている人でも要求や求める気持ちが優先されているうちは気づかないが、実は誰にでも与えるものはある。
笑顔を与える、笑いを与える、自分が求める言葉や思いや行動や活動から逆に与える思い、言葉、行動、活動という施しへの転換をはかりたい。
それができたら人は変わるし、地球は変わる。
『ありがとう』は望むのではなく感謝を伝えるもの。
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