心に落とす

私はカウンセリングのなかで、多くの人たちから、たくさんのお話を聞かせていただいてきました。

その人の誠意や真心から出たことばや行動はそれ自体が尊く、私の心を打ち感動します。

逆に、自分のなかに不満や過ぎた欲望や、自己都合による思いがあっての話しはとなると心地よいものではない。むしろ気の毒に思えてくる場合もあります。

今の現状を変えたいと思って相談にみえても、核心の部分に触れるとそれを認めたくないという気持ちが働く、その背景はまったくの自己都合によるものですが、このような人は事態が好転することはない。

自分に問題点があることを認めず相手の非難や中傷をいうときのエゴは相手と自分の比較をして四分六で相手が悪いとか、七分三分で相手が悪いとか自分を正当化したがりますが、全く愚かな思考です。

生きるということはどんなこともある。何事もゆきづまったら、まず自分のものの見方を変えることが大事です。案外、人は無意識の中にも一つの見方に固執して、他の見方があることを忘れがちなものです。

偏らないものの見方、つまり自然の理にかなったことで事が成らないものはないし、何事にもとらわれない素直な心で何が理なのかを見極めつつ行動していくならば必ず事は前に進む。

何億の人間がいても自分は一人の尊い自分である。そこにこそ自分の自信があり、誇りがある。

自分には、自分に与えられた道がある。道は広い時もある。せまい時もある。昇りもあれば、くだりもある。思案にあまる時もあるだろう。

しかし、心を定め、希望を持って歩むならば、必ず道は開けてくる。深い喜びも、そこから生まれてくるし、自分が方向を変えれば新しい道はいくらでも開ける。

自分の偏った価値観だけでは問題の解決にはつながらないのです。

人間関係においても仕事においても、目先の価値観や利益に走らないことが最善の方向を見出します。

また自分が利を得るために不必要に自身の膝を屈することは決してするべきではない。

何故なら、そうして得られた応援や協力は、また目に見えないしがらみを生み、道を狭くし、暗くするからである。

自らも努力を惜しまず、楽しみ、人々にも喜びを与える大切な人生をこうした心構えで送りたいものです。

リーダーや経営者、あるいは人の指導をする立場にあるものにとって大事なことは何と言っても人柄。結局これに尽きるといってもいいほど人柄は重要なもの。

先ず、暖かい心というか、思いやりの心を持っているかどうかということですね。

営むということは、生きること、事業の経営すること、働くこと、自然の理にしたがい世間大衆の声に耳を傾け、会社においては社内の声を集めて、なすべきことを行なっていけば、必ず成功するであろう。

素直な心で見るということがきわめて大事だ。

そうすれば事をやって、いいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。成長するには競争も必要、意見が対立することもあっていい。

だがライバルをも愛する広く豊かな心を持ちたい。

立派な歴史伝統を持つ会社でも心をもった人を育て得なければ徐々に衰退するのは目に見えているし、それが自然の理です。

国内有数のブランドでありながら、会社の金を役員の個人的流用で数十億もギャンブルに入れ込んだ愚か者がマスコミで報道されていたことがあった。腐りきった人間のいる組織がたどる哀れな末路である。

歴史、伝統を生かすのも人である。私はスタッフに大いに働いてもらうコツの一つはスタッフが働こうとするのを邪魔しないようにすることもひとつだと思っている。

私は死の直前まで最善をつくした運命に素直に従いたい。

私は、『失敗するかもしれないけれどもやってみよう』というようなことはしない。

『絶対に成功するのだ』ということを確信してやるのです。『何が何でもやるのだ』という意気込みでやるのです。

私のこれまでの人生というものは様々なことを教えてくれた多くの人々の「一言」によって支えられ、成り立っていると言っても過言ではありません。

前回も述べましたが、叱ってくれる人がいることは有り難いことです。怒った客がいたらその人は指導者です。何故なら改善のヒントをくれたから。

責任者こそ働くスタッフの中で一番、心配が多いのである。だが、そこに経営者としての生きがいがあるんだということを、私は自分自身に言いきかせてそれで難関をクリアしてきたわけです。

社会生活はある面で日々これ戦い、日々これ苦難、その時に心が動揺するかしないかは信念の有無で決まります。

しかし、日々の戦いのなかでも礼儀作法は人間関係を滑らかにします。

礼儀作法は社会生活の潤滑油です。

そして工夫のなかで湧いてくる知恵のポンプは汲めば汲むほど湧いてくる。

心に落とすとは、単に知識によって理解するのではなく、体得してはじめて知ったことになるし、心に落とすことになる。知識と知恵の違いはここである。

知識は体で使いこなし、考えずとも必要に応じて湧き出したときに工夫という智慧となる。

 このブログに訪問いただいている皆さんに心から感謝申し上げます。昨年の10月に発信して以来お読みくださっている方が増えておりますことは私の励みにもなり、また書くことで私自身が常に心を省みることになります。

何度も何度も繰り返し自分の心を点検しながら、偏りのない状態を保つべく生活をしていますが、毎日が新鮮な気持ちです。

また人々のお話を聞かせていただくことも私の大事な学びとなっています。このブログを読んでくださって思うところがありましたら、是非コメント、意見をいただければ幸いに思います。

今日もお読みいただき、ありがとうございます。観童

記、カウンセリングの希望や御相談についてはコメントをご利用いただくか、

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Posted by kansindo