危険な現世利益信仰の流行
祈祷と民俗信仰
前回は葬式仏教について述べましたが、今回はその関連として続きを述べさせていただきます。
葬式寺になってしまった檀那寺(だんなでら菩提寺)は、身近な民衆に対する呼びかけが必要なかった。
その理由はとなると、檀家制度をつくった幕府の命令でお寺詣りせよということになっているのだから、坊さんはなにもしなくてもよかった。
したがって、民衆の悩みをどう解決するか、その解決策も持たなかった。というより必要なかったといったほうが的を得ているかもしれない。
例えば、真宗系統の寺では「念仏称えて後生を願いなさい」といっておけばそれで終わりであった。(後生とは生まれ変わりのことをいう。)
『後生大事に』という言葉はここからきていて、(後生の安楽をいちずに願うこと。)(物事を大切にすること。)の意味を成している。
江戸時代当時は、寺を建てるにも寺社奉行の許可が必要であった。
寺請制度、檀家制度によって、日本人は一人残らずどこかの寺の檀家になっているので、新しく造る寺は檀家を持たないことになる。
そういう寺は祈祷寺として、民衆の悩みに応えるというやり方をしないと寺の維持ができない。
祈祷寺は真言宗と日蓮宗がほとんどである。
日本人は、宗教というと即座に頭に浮ぶのが、「祈祷」と「どんなお蔭があるか」、「何の御利益がある」ということになるが、いわゆる現世利益を求めるのである。
実際に20代、30代の若者たちも「日蓮聖人を拝むと御利益が凄い」と真顔でいうのである。困ったものだと思うのだが、あまりにも盲信している姿に言葉を失ってしまう。
日本人が現世利益を求める源流はどこにあるのであろうか。
儒教や仏教が伝来する以前の日本の宗教は、神道である。神社神道のことではない。
古神道の本質は、万物はすべて神がつくられたのであるという自然神崇拝であろう。
世界をみたときに、この自然神崇拝の信仰は、古代エジプトからインドへ伝わり、バラモンの教えとなってヒンズー教の源流となった。
日本では八百万(やおよろず)の神といっているが、山の神、川の神、海の神、草木の神、金(鉱山・金属)の神などから一切の虫魚類まで、神として拝むのである。
元々は神の生命の現われであるとして大事にしたものが、それらがいつのまにか神そのものとして拝むようになってしまった。
ここにも捉え方の間違いがある。
形あるものは意識の現れであって、神そのものではないことを理解しておく必要があるだろう。
ヒンズー教では、人間の持たない力と能力を持つものを、すべて人間以上のもの、すなわち神として拝むから、ヒンズー教の神は、とても人間の力の及ぶことのない大きな力を持つ、象の神から、鳥や亀などまで、全部挙げると三三九三神になるともいわれる。
それに人間の生活は、人間の力をもってしてはどうすることもできない天候気象等の自然現象によって左右される。
特に農耕民族にとっては、長雨が降る、日照りがつづく、暴風が吹くとなれば、人々はただ無事を祈って損害の少ないことを祈るしかなかった。
それは今日でもおなじであろう。そうした生活が、なにかあると救い(現世利益)を求めて、神仏や、力のあるものに祈祷をするという習慣を生み出した。
それが民間信仰として日本人の意識の中に定着してきたのである。
お蔭があるとか、御利益がある、あるいはあっちの神さまが効くということになると、簡単に神さまを乗り替えて、どんな神さまでも拝むということが、西洋の一神教(宇宙創造の神だけを正しい神とする)の人々から見ると、日本人の信仰には不思議でならないし、節操がないといわれる所以でもあろう。
ロサンゼルスの友人と東洋の文化について話したときに彼がそのようなことを言っていた。
こうした祈願体質を持っていたことが、ひとつは日本人の信仰が自力型ではなく他力型となる原因にもなった。
人間は誰しもが、災いのない何事もない幸せな日常生活を求める。だから祈願の目的も二通りに分れる。
1 現在の幸せがいつまでもつづきますように
2 苦しみ悩みが解决して幸せになれますように
こういう心から、農耕者は豊作祈願を、漁業者は大漁祈願を、鉱山業者や鍛冶屋は神道の金山毘古の神に祈願をするということをやるようになった。
祈願は個人がやる場合もあれば、集団的に村全体、部落全体、業者全体で祈願するという仕方でやってきた。
会社の役員や各職にある人たちが拝殿のなかに案内されて神前に額(ぬか)ずき、商売繁盛、事業興隆を神官の祝詞と共に願う姿は稲荷神社でよく見られる光景だ。
雨が降らないと農作物ができないから、雨乞いをする。
害虫ができると実がとれないから害虫駆除の虫送りをする。
伝染病が流行すると、疫病送りの祈願をするなど、昔は衛生管理も思想も発達せず、医者も薬もなかった時代においてはそういうことが行なわれていた。
昔は、天然痘が恐れられていた。地方によって、家の門には、ピカピカ光る鏡やあわびの殼などを下げたり(そうすると、疫病神が、眼がくらんで入ってこれないというわけである。)病人が出ると、家族中で祈願する。
あるいは、日待ち、月待ちといって、十九夜、二十二夜、二十三夜に、月の出を待って家中が願をかける。眼病、耳病、頭痛、歯痛など、それぞれに願かけをする。
正月を迎えるということになると、家には注連縄を張って、歳神を祀り、台所のかまど、仕事場、仕事場の機械道具類、牛馬小屋の入口、土蔵の入口、便所などにも注連縄を飾り、あるいは飾り餅を供え、正月には初詣でをする。
私が子どもの頃もしめ縄を綯(な)ったものだ。現世利益を求める日本人の祈願は、生活全般のことに及んでいる。
大願成就、良縁成就、家内安全、健康幸福、商売繁昌、厄除開運
合格祈願、学業上達、立身出世、五穀豊穣、福徳開運、豊漁祈願
海上平安、安産祈願、子孫繁栄、交通安全、無病息災、恋愛成就
と実に多岐にわたっている。
現在の初詣でおかしいのは、日頃は無神論者、無信仰者であるといっている人達や神仏とは全く関わりのない若者たちまでもが、わずかな賽銭を投げいれて参詣することである。
大晦日の神社の光景を放映するテレビのリポーターなどにきかれて、「今年中に結婚できるようにと祈りました」というから苦笑のかぎりだ。
江戸時代当時の女性にとっては安産するということが最大の願いであった。
衛生思想の発達していなかった昔は、出産の熱などで死ぬ人も多かったからであろう。
お産は不潔であるという考えがあるのも、いけなかった。だから昔は、母屋で産ませることはせず、お産小屋を別に建てたりしていたこともある。
安産を願っている人達の心をうまく利用してつくり上げたのが、子安観音、子安地蔵といったようなものであって、そういう観音さまや地蔵さまがおられるわけではない。
祈祷を頼みに来る人だけを待っていたのでは寺の維持ができないとなれば、なんとかして人がお詣りに来るようにしなければと考えるのは当然であっただろう。
もっとも寺側にしてみれば、有り難い仏さまや観音さまの功徳を授けてやって、衆生(人々)を救うのであるというのであろうが、衆生か現世利益の功徳を願っている心を、僧達は利用して、本来はバラモンの神々であったものまでが祀られ始めた。
帝釈天、弁財天、毘沙門天、吉祥天、水天、聖天、不動明王、大黒、鬼子母神、妙見、秋葉、金毘羅、稲荷などである。
その他、観音、地蔵、閻魔、薬師、愛染明王、七面明神などが祀られ、こうして直接現世利益に繋がる拝み信仰が、民衆が尊敬している寺側からすすめられたことと、それまで民間にあった俗信とが交じり合って流行神の信仰となって盛んになっていった。
当時の江戸の民衆が、いかに現世利益を求めていたかがわかると当時に、この現世利益を願う心は、昭和の時代になっても現在の人々の間にもあることに注目すべきである。
江戸時代というのは、いやそれ以前もであるが、医者といえば漢方医で、ご典医という、将軍や大名の病気を診る漢方医はあっても、民衆がすぐ手の届く金で診てもらえる漢方医はほとんどなかった。
薬も高価で普通では買えなかったのですから、民衆の願いといえば当然病気治しということになる。
だから、流行神(はやりがみ)の功徳、現世利益も、病気治しが中心ということになる。
この風潮は、今に至ってもつづいている。
これほど医学が発達している現在でも、信仰といえば主として病気治しのためとなっていることには、これまた注目しなければならない。
何代にもわたって続けられた風習、習慣がいかに根強く人の心を支配しつづけるか注目してみる必要がある。
それとあわせて、時代とともに間違った信仰の実情や、生活習慣は改めてゆく心づもりも必要ではなかろうか。
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