潔癖症(強迫性障害)
子どもたちは頭が柔らかく、言葉遊びをするのも得意なところもある。小学生の子どもたちの間で流行(はや)ったことがあるという「〇〇菌がついた~」
この言葉は、遊びのなかでふざけていった言葉であるかもしれないが、いじめのなかで発した場合もあるようです。いわれた子どもはショックのために、なかには深く心に残ってしまう場合もある。
潔癖症といわれる子どもの様子は、他人から自分の体に触れられたくない。人が触った物に手を触れたくない。行きすぎるほど汚れに拘る。
汚れなどを過剰に気にしたり、病気になることを過度に恐れ、飲酒、喫煙、肥満を異常に嫌悪したり細菌や病原菌など何らかの汚染を受けるのではないかと、日々恐れを抱き続けたり、不安で外出することができない場合などもある。
日常生活の中で汚れが過剰に気になり何度も手や体を洗わないと気がすまなかったり、ドアノブや電車の吊り革を掴めない、外出先のトイレの便座に座る事ができないといった症状も見られる。
更に、好意を持ってくれる第三者がわざわざ作った料理や弁当(サンドイッチやおにぎり等、直接手で触れて作られるもの)を食べることができず、それによって対人関係にまで深刻な悪影響をおよぼすこともある。
また、自身に汚れが付くことを極度に恐れるために、部屋を掃除できなかったり、風呂の汚れを気にして入浴できなくなったりして、逆に不衛生な生活になる場合もある。
または逆に不衛生という意識が強く働き、常に拭き掃除や消毒をしたがる場合もある。
配偶者または子どもがいる場合には、常に清潔でいることを強制したりする傾向が強く、子供が潔癖症の場合は、何度も手を洗ったり、身を清潔にするというより、汚れから身を守るといった観念から、やり過ぎと思えるほど部屋の掃除を親に要求するケースもある。
こういった症状は医学的には強迫性障害といって強迫観念と強迫行為によってなされているのですが、本人は自らの強迫症状が奇異であったり、不条理であるという自覚を持っているため、人知れず思い悩んだり、恥の意識を持っている場合も多い。
治療方法
治療方法は一貫して強迫性障害に付随する行動療法、認知行動療法、抗うつ薬、カウンセリングなどが主な治療方法として心療内科や精神科などが対応している。
しかし、現実にはなかなか改善されにくいというのが現状のようだ。
現代医学では強迫症状はストレスにより悪化する傾向にあると説明しているのだが、根本的なところでは、本人の心の内にある傾向性、つまり個性として備わった、心の特性のなかの拘り部分が強すぎて、行動が片寄った結果として、潔癖症という表現になっている。
強迫観念とは、「不快感や不安感を生じさせる観念(心)を指していう。」
強迫観念の内容の多くは普通の人にも見られるものだが、普通の人がそれを大して気にせずにいられるのに対し、強迫性障害といわれる人の場合は、これが強く感じられたり長く続くために強い苦痛を感じている。
強迫行為とは、不快な存在である強迫観念(不潔、不安、恐怖心)を打ち消したり、振り払うための行為で、強迫観念同様に不合理なものだが、それをやめると不安や不快感が伴うためになかなか止めることができない。
その行動は患者や場合によって異なるが、いくつかに分類が可能で、周囲から見て全く理解不能な行動でも、患者自身には何らかの意味付けが生じている場合が多い。
強迫性障害の患者の主要な問題は、患者の三分の一は強迫観念であり、残りの三分の二の患者は強迫行為である。
大半の患者は自らの強迫症状が奇異であったり、不条理であるという自覚を持っているため、人知れず思い悩んだり、恥の意識を持っている場合も多い。
また、強迫観念の内容によっては罪の意識を感じていることもある。
そのため、自分だけの秘密として、家族などの周囲に内緒で強迫行為を行ったり、理不尽な理由をつけてごまかそうとすることがある。
逆に自身で処理しきれない不安を払拭するために、家族に強迫行為を手伝わせようとする場合もある。これは「巻き込み」と呼ばれる。
原則として強迫観念や強迫行為の対象は自身に向けられたものであり、これによって患者が非社会的になっても、たとえば犯罪のような反社会的行動に結びつくことはない。
一般的な強迫症状
強迫症状の内容には個人差があり、人間のもつ、ありとあらゆる心配事や、幼少期のショック、思春期の不快感なども要因となりえる。
しかし、比較的よく見られる特徴的な症状があるため、これを下記に記しておきます。これらの症状についても患者自身の対処の仕方(強迫行為)は異なり、一人の患者が複数の強迫症状を持つこともある。
不潔強迫
潔癖症とも言われている。手の汚れが気になり、手や体などを何度も洗わないと気がすまない。体の汚れが気になるためにシャワーや風呂に何度も入る等の症状(ただし、本人にとって不潔とされるものを触ることが強い苦痛となるため、逆に身体や居室に触れたり清掃することができずに、かえって不衛生な状態に発展する場合もある。
手の洗いすぎから手湿疹を発症する場合もある。
患者によっては電車のつり革を触ることが気持ち悪くて手袋をはめて触ったり、お金やカード類も外出して穢れた、汚れたという感覚を持つため帰宅の度に洗う場合もある。
確認行為
確認強迫とも言う。外出や就寝の際に、家の鍵やガスの元栓、窓を閉めたか等が気になり、何度も戻ってきては執拗に確認する。電化製品のスイッチを切ったか、度を越して気にする、服装の執拗な確認、髪の毛を気にしすぎるなど。
加害恐怖
自分の不注意などによって他人に危害を加える事態を異常に恐れる。例えば、車の運転をしていて、気が付かないうちに人を轢いてしまったのではないかと不安に苛まれて確認に戻るなどの行為。赤ん坊を抱いている女性を見て、突如としてその子供を掴んで投げてしまったり、落としたりするのではないかというような、常軌を逸した行為をするのではないかという恐怖も含まれる。
被害恐怖
自分が自分自身に危害を加えること、あるいは自分以外のものによって自分に危害が及ぶことを異常に恐れる。例えば、自分で自分の目を傷つけてしまうのではないかなどの不安に苛まれ、鋭利なものを異常に遠ざけるなど、ありもしない想像が不安や恐怖心にまで発展してしまう。
自殺恐怖
自分が自殺してしまうのではないかと異常に恐れる。これも不必要な想像に拘り自分を不安感や恐怖感にまで追いやってしまう。
疾病恐怖
または疾病恐怖症など。自分が重大な病や、いわゆる不治の病などにかかってしまうのではないか、もしくは、かかってしまったのではないかと恐れるもの。HIVウイルスへの感染を心配し、血液などを異常に恐れたりするものも含まれる。こういう気持ちが過度に働くことで異常に除菌などをしたり、させたりすることがある。
縁起恐怖
縁起強迫ともいう。自分が宗教的、もしくは社会的に不道徳な行いをしてしまうのではないか、もしくは、してしまったのではないかと恐れるもの。
信仰の対象に対して冒涜的な事を考えたり、言ってしまうのではないかと恐れ、恥や罪悪の意識を持つ。
例えば、神社仏閣や教会において不信心な事を考えてしまうのではないか、聖典などを冒涜してしまうのではないか、というもの。
ある特定の行為を行わないと病気や不幸などの悪い事柄が起きるという強迫観念に苛まれる場合もあり、靴を履く時は右足から、などジンクスのような行動や、何々すると悪いことが起きる、などの観念(心)が極端になって偏っているものも見られる。
不完全恐怖
不完全強迫ともいう。物を秩序だって順序よく並べたり、対称性を保ったり、本人にとってきちんとした位置に収めないと気がすまず、うまくいかないと気に入らない、不安を感じるもの。
例えば、家具や机の上にある物が自分の定めた特定の形になっていないと不安になり、これを常に確認したり直そうとする等の偏った精神状態。
物事を進めるにあたって、特定の順序を守らないと不安になり、うまくいかないと最初から何度もやり直したりするケースある。
郵便物を出す際のあて先や、書類などに誤りがないかと執拗にとらわれる場合もあるため、結果として確認行為を繰り返す場合もある。
保存強迫
自分が大切な物を誤って捨ててしまうのではないかという恐れから、不要品を家に貯めこんでしまうもの。本人は不要なものだとわかっている場合が大半のため、自分の行動の矛盾に思い悩む場合がある。
数唱強迫
不吉な数やこだわりの数があり、その数を避けたり、その回数をくり返したりしてしまう。数字の4は「死」を連想するため、日常生活でこの数字に関連する事柄を避ける、などの行為。
恐怖強迫
ある恐怖、あるいは言葉、事件のことを口にできない。そのことを口にすると恐ろしいことが起こると思うため口にできないなど。
この他、些細であったり、つまらない事柄、気にしても仕方の無い事柄を自他共に認める状態にあっても、これにとらわれ(強迫観念)、その苦痛を避けるために生活に支障が出るほど過度に確認や詮索を行う(強迫行為)。
強迫症状に付随するもの
強迫性障害は強迫症状によって構成されるが、個人差により、以下のような状態が付随することもある。
回避
強迫観念や強迫行為は患者を疲弊させるため、患者は強迫症状を引き起こすような状況を避けようとして、生活の幅を狭めることがある。
これを回避と呼ぶ。重症になると家に引きこもったり、ごく狭い範囲でしか生活しなくなることがある。
回避は強迫行為同様に患者の社会生活を阻害し、仕事や学業を続けることを困難にしてしまう。
巻き込み
強迫行為が自分自身の行為で収まらず、家族や親しい友人に懇願したり強要したりする場合がある。これを巻き込み、または巻き込み型という。これにより、患者のみならず周囲も強迫症状の対応に疲れきってしまうことがある。
巻き込みのように、周囲が患者の強迫行為を手伝うこと(患者にかわって何かを洗ったり、誤りがないか確認するなどの行為)は患者の病状を維持したり、かえって悪化させることが明らかになっているため、極力避けなければならない。
注意、ただ、これを急にやめることは患者にとって苦痛が大きく、一時的に症状が悪化する場合があるため、患者と治療者や家族が必要性を話し合った上で、段階的に巻き込みをやめていく必要がある。
感染(伝染)
強迫性障害は医学的には精神的病気と説明されていますが、バクテリアやウィルスが原因ではないので、感染することは物理的にはない。この点は安心材料である。
しかし、他の強迫性障害の患者から影響を受けて、本来本人が持っていなかった別の症状が発症することがある。精神的な感染(影響)はあり得る。
強迫性障害の特徴
人種や国籍、性別に関係無く発症する傾向にある。
調査によると全人口の2%前後が強迫性障害であると推測されている。20歳前後の青年期に発症する場合が多いといわれるが、幼少期、壮年期に発症する場合もあるため、青年期特有の疾病とは言い切れない。
この病気の患者の特徴は、他の精神的病と違って、本人が病気を自覚していることである。本人もわかっているのだが、治せないのがこの病気といえる。
重症患者を除き、社会生活に支障のないレベルの患者は、外では他人に病気であることが気がつかれないように、儀式も人前では我慢して行わず、病気のことを隠し通す。
そして、他人に見られる心配のない家の中で、症状を隠さずあらわにし、儀式行為を気が済むまで行うケースが多いようだ。
強迫性障害の原因
現代医学では、強迫性障害は脳の機能障害が関連しており、前頭前野や帯状回など、複数の要因が関連して起きるとしている。
しかし、発症に至る完全な原因はわかっていないというところが現代医学の限界でもある。
患者の共通点として、元来几帳面であったり、融通が利かずに生真面目な性格傾向が挙げられる事も多い。
現代医学では指摘をしていないが、私は、親の強迫性障害の兆候、あるいはその症状の影響を受け、見て育った子どもが思春期を機に発症するケースがあるのではという見解も否定しきれないと考えている。
その根拠は、人間は先ず第一に家庭環境、親のしつけ、言動、生活習慣、拘り、執着、偏った価値観によるアンバランスな心の親、こういった影響を受けながら育っていくものだからである。
※真面目とは、嘘やいいかげんなところがなく、真剣であること。
※生真面目とは、非常に真面目すぎて 融通がきかないこと。
◎真面目なことは良いことであるが、融通が利かないことは良いこととは言えない。真面目も生真面目も心の問題であるが、偏ることが問題を引き起こすことになるということに気づかなければならないのです。
潔癖症は何故おこったのか、発症したのかとなると、拘り、執着、それは偏った心のバランスがつくり出した行動であり、観念だということです。
潔癖症を治したいと思うならば、自分の心の特性を良く知り、どこにアンバランスがあるのかを知ることから始めることです。
自分の心の状態を知ることなくして潔癖症の改善をみることはできない。
改善を図る為の心のチェック
◎自分はどのようなことに拘りがあるのか。執着している自分がいるのか。
◎自分の本能と、感情と、理性と、知性の精神バランスが偏っていないか。(物欲はどうか。思うようにいかないとイライラしたり、怒りたくなるか。冷静に物事をみることができるか、考えることができるか。合理的、理論的、智的に考えることができるか。)
◎物やお金と、心とではどっちに、より価値観をもっているか。
◎他人の目が気になるか。
◎過去に不潔と感じる、思うことがあったかどうか。
現代医学による説明では、「性格的なものと強迫性障害の因果関係はよくわかっていないが、心の働きが原因となって起きる(心因性という)神経症の一種に分類されてきたという経緯がある。
しかし近年、セロトニンなど脳内の神経伝達物質のバランスに異常が見られると言われるようになったが、それは、うつ病や統合失調症や他の精神疾患でもいわれることであり、セロトニンの問題であれば、セロトニンに異常がある人は皆が強迫性障害にならなくてはならないことになる。
だが、実際はセロトニンの問題ではなく、心のバランスを崩している人の場合、様々な精神的疾患を発症していることがあり、そういう患者の脳内を検査すると、結果的にセロトニンの過不足がみられたということだけであって、潔癖症がセロトニン科学的影響だということにはならない。
何故なら精神科や心療内科で向精神薬を処方されても潔癖症は治らないからである。
潔癖症は脳内部の化学的な働きの不具合によるものよりも、精神的アンバランスが要因として大きく関係して発症するものと私は考えている。
簡単にいえば、偏った物事の見方、考え方、行動ということである。
特に十代、二十代の独身者の場合、そのままで結婚生活に入ることは夫婦の問題に影を落とす原因ともなりかねず、早期に自分の心の癖、すなわち傾向性を改めるべく努力をする必要がある。
自分を改めることができるのは他人ではなく、あくまでも自分しかいないということだ。
※きょうも最後までお読みくださいまして心から感謝もうしあげます。このブログを他の方にも読んでほしいと思われた方は下のバナーをポチッとクリックして頂ければ幸いです。
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