精神疾患・出し過ぎる薬の弊害

苦悩私はこれまで、うつ病を患っている人や、パニック障害、摂食障害、その他の精神的疾患で相談にくる方々に薬の副作用とその事例を知らせ、減薬と断薬を奨めてきたが、そのことによって実際に数年来の症状が軽減されたり、回復して社会復帰できた人たちがいる。
ある医大生が登校しなくなり、引きこもってしまった。この青年は当然精神科に行けと大学に言われて診察を受けたのだが、うつ病ということで服薬したのだが、事態は一向に進展しない。
私と会ったときは若さが微塵も感じられなく、無言のままで話そうとしない。薬の副作用を話しても、自分が学んでいる医学が一番であり、耳を貸そうとしない。
しかし、私は心のあり方、生活意識の大切さ、信頼される医師になる為に必要な柔軟で偏りのない人間性というものを話した。
そうして再び減薬、断薬の必要性を説得したのだった。結果、彼は薬をやめ、復学したのである。
医学では用法や用量を守れば、統合失調症や鬱病などの治療に効果があるとされている向精神薬。
また日本の精神科、心療内科で処方する薬は量的に少ない方だと言っている医師もいますが、しかし、そうだとしても処方される薬の量は多い。
反面、同じ医療界に従事する医師のなかにも精神疾患に薬は不必要と警鐘を鳴らす人たちがいることは嬉しいことだ。
実態は、使用者の、もう飲みたくないとする急な断薬や、医師の安易な数種類の処方により、依存症に陥る患者の割合が増えている実態が明らかになってきている。
緊張時の発汗異常などの症状に悩んでいた神戸市内の男性(41歳)は、平成16年から精神科に通い始めて向精神薬を服用。依存症に陥った。
医師のアドバイス通り1日3回のペースで飲んでいたが、発汗への効果は感じられず、強い眠気など別の症状が出始めた。
副作用を疑い薬をやめたが、その途端不眠や、光が異常にまぶしく感じられるなどの症状に襲われた。
薬を処方した医師に尋ねても、「あなたのもともとの病気だろう」と言われ、取り合ってくれなかったという。
断薬して4年が経過した現在も、不眠などの症状は残り、まぶしさのため、外出時にはサングラスが欠かせない。
男性は「海外では、向精神薬への依存はヘロインよりも離脱しにくいと指摘する専門家もいる。薬物依存が重大な副作用であることを知りながら、見て見ぬふりをしている精神科医がいる」と訴えた。
こういう話は、私のところに相談に来る人たちのなかにも同様の訴えをするケースが非常に多いのである。
相談に来た70歳を超えた見るからに体力のないきゃしゃなお婆さん、向精神薬を3種類も処方されて服用した途端に震顫症状(しんせん・手のふるえ)が出始めたと言っていたが、これなどは明らかに薬の多用による副作用で、無理な処方箋としかいえない。
医師でもないのに何をいうかと思われるかもしれないが、実際に薬を減薬したら手の震えがなくなったのである。このような事例は数えきれないほどある。
若い青年が外にも出ず、家の中でパソコンやゲームに興じて昼夜逆転の生活をすれば、親に限らず、周りの誰もが心配もし、アドバイスもする。
しかし、簡単に「病院でみてもらったら?」というが、こうなると行く先は精神科か、心療内科ということになります。
やるきがない、行動しない、とは言っても、自分の好きな事にはさっさと出かけたり、遊んで帰ってくる。人から少し強い口調で叱責されると切れてしまい、やらなければならないことはやらず、行動せず、だらけた生活をしていても遊びにはでかける人間像。
若い人たちに多い行動パターンであるが、このような状態を心配して精神科に連れて行ったら立派な病名が付けられ、向精神薬を何種類か処方されることは必至である。
心に聞く薬はない。脳や自律神経に働きかけているだけの薬であることを忘れてはならないだろう。
対処を間違うと取り返しのつかない人生を送らせることにもなりかねない。
現代医学が一番と思う勘違い、偏見は危険この上なく、親は自分たちの子育てを猛反省しなくてはならないでしょう。
自分たちの価値観を押し付け、また、反対に子どもに無関心で快楽を優先した生き方の末に、子どもの心を歪ませてしまっているケースは多い。
統合失調症
病のごく初期は、不機嫌、親への反抗、昼夜逆転、成績の低下、友人との交流が少なくなるなど、陽性症状としては、幻聴などの幻覚、妄想、自我障害などで、陰性症状としては、陰性症状は、感情の平板化、無気力、社会的ひきこもりなどがあげられる。
この統合失調症ですが、医学的には遺伝的な背景が関与し、これに環境的な要因が加わって発症するものと考えられていますが、しかし、何が遺伝するのかは十分明らかになっているわけではない。
私は、本人が持って生まれた魂の傾向性(心の癖、自我、カルマ)もあると考えているが、しかし、家庭内の劣悪な環境的影響が大きな要因がではないかと考えています。
その理由はとなると、遺伝なら変わりようがないはずだが、本人に対する周りの接し方や、家庭環境が変わることによって改善がみられるからです。
一方、統合失調症で精神科に入院している患者の4割が、3種類以上の抗精神病薬を処方されていることが、国立精神・神経医療研究センターの研究でわかってきた。
患者の診療報酬明細書(レセプト)から実態を分析した結果、複数の薬物による日本の治療は国際的にみても異例で、重い副作用や死亡のリスクを高める心配が指摘されている。
これまでも精神科の治療では「薬漬け」を指摘する声が根強くあったが、現在では、心療内科でも精神科以上に多種、多量の薬を処方していて、一部の医療機関などに限定した研究に過ぎないのである。
今回の研究では、2011年度から、全レセプトデータを提供する厚生労働省のデータベースの運用が始まったことから、精神科での詳しい薬物治療の実態の調査、分析ができるようになりつつあることは喜ばしいが、まだまだ薬漬けという日本医療界の現状は続くのではと危惧している。
具体的にいうと、薬漬けの治療実態は、何も精神科や心療内科だけの問題ではなく、内科や外科、整形外科、婦人科、その他諸々、薬で対処する医療が王道をいっている。
例えば、抗生物質、ステロイドなど、なるべく体に入れたくない薬が、何のためらいもなく過度に処方されているのである。
パラノイア
偏執病、妄想症ともいわれ、頑固な妄想をもち続けている状態で、妄想以外の部分での考え方や行動は首尾一貫している。
幻覚、とくに幻聴は伴わず、中年以降に徐々に発症し、男性に多いといわれてはいるが、実際は若年にもあり、このような10代の男性の相談に応じたことがある。
妄想の内容は、多岐にわたっていて、高貴な出であると確信する血統妄想、発明妄想、宗教的妄想などの誇大的内容のものをはじめ、自分の地位・財産・生命を脅かされるという被害(迫害)妄想がる。
あるいは、連れ合いの不貞を確信する嫉妬(しっと)妄想、不利益を被ったと確信して権利の回復のための闘争を徹底的に行う好訴妄想、身体的な異常を確信している心気妄想などもあるようです。
一般には、自我感情が強く、簡単に怒りをあらわにし、特に威圧的な言葉には強く反発して執拗な言動をする場合がある。
医学的には、パラノイアを独立疾患とみる立場と、統合失調症の一類型とみる立場、あるいは一定の素質と生活史や状況から理解できるという立場などがあって、今日なお一定した見解はないようだ。
このパラノイアもそうだが、統合失調症の場合も、自分が心の病であることを自覚して改善するという勇気と決断、そして行動が為されない限り、生涯にわたって症状に起伏があり、改善することも、治ることも期待できないでしょう。
それだけ心の癖、傾向性、自我、業(カルマ)、家庭環境、の問題は難しいということであるが故に、家庭にあっては、個々が片寄った価値観で生活してはならないということがいえるでしょう。
これまで相談に応じてきた人たちのなかには医療現場で働く人たちも少なからずいたが、安定剤、睡眠導入剤、中には向精神薬を服用しながら働らかざるをえない責任ある立場の医療従事者もいる。
例えば、精神科で働く看護師の場合、「鍵を掛けて隔離するあの施設内は別な世界だ、こっちが変になる」といって、長年の勤務はできずに退職をするケースが多々あると言っていた人もいたのである。
ある看護師は、精神科医自身も安定剤を服用しながら日々の業務をこなしていると話してくれたが、これなどは、いかに心の病に対応することが難しいかの証でもある。
心に残さず、一日を終えられるような心づくりができていないと、カウンセリングはできない仕事である。
医療界あれこれ
アメリカと日本における精神科の実態、それに対する意識の違いはとなると、先ず、日本では精神科医を志す医学生が少ない、またその原因、改善策には社会的体制の違いが大きく影響している。
例えば、日本の精神科や心療内科では外来者数が多いが、医師と話す時間は5分とか10分と非常に短く、アメリカのように話を長く聞く時間が確保されていない。
ちなみに、アメリカの精神科医の数は:10000人に1人、であるのに対し、日本の場合は:20000人に1人と半分の比率である。
なぜ日本の精神科は薬漬けにしたり、病床数、入院日数が他国よりはるかに多いのか。
これは、医師の社会的な評価が、両国間であまりにも違い過ぎるという背景があるようです。
その意味では、日本ほど精神科医が尊敬されていない国はないということがいえるかもしれません。
世界標準ということからすれば、特にアメリカで考えた場合、医療など高額で簡単に受けられない国がほとんどでしょう。
従って、大金を支払わなければ医療を受けられないというのが実態でしょう。
しかしながら、日本の医療制度があまりにも優秀なせいで、逆に日本人が「わずかな負担や、タダで健康が保障されるのは当然だ」と誤解している向きもあり、そういうことが多量の薬を処方する原因、あるいは薬を要求する患者の健康に対する誤った認識が背景にあるといえるのではないか。
こうなってくると、行政の問題にまで発展してくるのだが、この件については長いスパンで国を挙げて取り組んでいく必要があるだろう。
日本の医師は優秀でありながらも、反面、一部の医師による不正請求や倫理を無視した罪を犯してしまうことで、社会的批判に晒(さら)され、社会で悪者のように扱われているところもあります。
このようなことは、どの分野でも同じことが言えるのでしょうが、一部の人間によって業界全体が黒とみられることもあってはならないことです。
最近では、精神科医の社会的な扱いの悪さは顕著だという人もいるようですが、医師の側からすれば、正しいことをやってもクレーマーが多く、ひどい扱いをうけるということだろうし、挙句の果てには、良くない結果については、悪いことをすべて医師のせいにして責任転嫁できる社会風潮にも問題があります。
近年は、診療報酬が激安のため、医師の中でも精神科の場合は診療報酬に対し、著しく評価が低いのですから、精神科医の希望者が少なくて当たり前かもしれません。
日本の医療制度が整い過ぎている。
実費負担が高いと文句をいう人たちもいるのですが、世界の医療実態をみたとき、日本の場合、安く簡単に医療にかかれるから、たくさんの患者が医療機関に殺到します。
必然的に一人あたりの診察時間は短くなります。
アメリカで精神科医(特に専門医)にかかるには、診察1回約500ドル(現在1ドル98円として約49000円)を必要とするため、簡単に診察を受ける患者はいないのです。
このように、診療費が高価なため患者数が少なく、1人の患者に時間も掛けることができるという体制が備わっている。
まともに精神科に受診できるほど医療制度が恵まれた国はほとんど存在しないため、自分で簡単に手に入れて、乱用されているケースが多いということでしょう。
病床数、入院日数が長いのは国の方針
日本は精神障害者を隔離して出てこないようにする方針を長らく続けています。
医療費をあまりにも安くすることでそれを可能にしています。(これが国が続けている精神科特例)
医療者側がいくら患者を退院させたくても、患者を受け入れたくない家族、社会が患者を拒絶し、精神病院に逆送りさせるという実態があります。
精神疾患者は家族も邪魔にするということでしょう。
その点は、他国(特にアメリカ)の医療費では長く入院などできないため、必然的に精神障害者を社会が受け入れざるを得なくなっていますが、実はそのせいでアメリカには精神障害者のホームレスが滅茶苦茶多いとわれています。
社会の裏の部分、陽の当らない世界があるということです。
日本の精神医療は臭いものにフタの歴史。
役人も、そして国民一人一人も精神障害者を受け入れようとはしていません。
精神障害者を安価に医療機関に閉じ込めて、医者をはじめとする医療者に責任を丸投げし、見ないでおこうという社会的な考えが変わらない限り、この現状は続くでしょう。
要は、自分の家のすぐ横に精神障害者向けグループホームを作ると言われて、喜んで協力を申し出る国民が多いか、大慌てで反対運動をする国民が多いか、どちらが多いかということかもしれません。
医療外のカウンセリングを受ける人間が多いというのも、どちらかと言えば専門の精神科に掛かりたいが、医療費の問題があって、自由に利用できないからという意味合いのほうが高いかもしれない。
精神疾患患者に社会的に用意されているのは法的な強制入院のみであり、その他は自己責任。
金がなくて医療にかかれない人間が自己判断で薬を飲み、依存症が蔓延しているという部分も否定しきれなく、これからの社会ではこういった傾向が一層増えてくる可能性を否定しきれない。
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