不登校・2・大人の対処
不登校に関しては様々な理由があり、その原因や対応の仕方についても親や学校がそれぞれの立場で冷静に誠意を以って対処していかなければならないと思います。
この問題はとても大切な事だという認識から、今朝は過去に取り上げた記事を一部編集して再度掲載させていただきます。
いじめなどの対外的理由の如何を問わず子供たちの不登校の問題を解決していくためにどうしても考えてみなければならない最終的、かつ大きな難問が親子関係であり家庭環境だとつくづく思わされます。
親はよく自分達にできなかったことを子供に託して、子供の意思に沿わないことでも、その希望を果たそうとする傾向があるひともおり、社会の一般的傾向や教育や、虚栄心による子供への束縛を原因として家庭が不調和になる場合があります。
肉体は確かに親が与えたものです。
しかしその心までは両親の与えたものではないということを知らなくてはいけない。
全くの親子であっても、心は個の生命であって、相違があって自然なのでしょう。
なぜなら、心も親が与えたものであり、親の分身だと思うなら、その思考性や行為のすべては同じでなくてはならないからです。
残念なことに、一定の年齢になってくると自分の主張をし、親のいうことを利かない子供が多い事実を考えなくてはなりません。
従って親達の、子供の環境や教育についての育成は、溺愛でなく、家柄や利己的な考えを捨てた純粋な心からの愛でなくてはならないということです。
地位や知識が高く、子どもたちを指導する立場にある人でも、私生活では必ずしも心やさしく、家族や縁者から尊敬されているとは限らず、逆に社会的には立派な職業といわれる仕事に就いていながらも人間としての温かみのない、どこか冷たささえ感じさせ、近づきがたい人もいます。
子供が子供自身の思った通りの道を歩きはじめると、ご両親の中には『あんなに可愛がって育てたのに、親の恩を忘れて、親不幸をしている』などと嘆く人もいる。
これは単なる文章ではなく事実に基づいて記述させていただいていることです。
しかしこれも親のエゴイズムでしょう。
報いを求める、そんな心を言葉にするぐらいだから子供達は自分達の真実の道を求めて去ってしまう。
こうして親との間に距離ができていくのです。
親子相互の対話の不足を考え、子供の人格を認めてやることも親の愛であろう。
対話のない家庭、親のエゴを優先した家庭の中には孤独な子供達が育ってしまう、これも現実です。
両親は、『与えた』と思う心があるから、親の尺度ですべてを計り、子供を叱りつけます。
親の意志に反したことをすれば、きびしく怒り、肉体はおろかその心まで束縛してしまう。
大人は、こうしたことを良く考えて、子供達を指導することが必要でしょう。
最も自由自在の中で、良く心の在り方を教え人間としての道を教え、感謝と報恩の意味をさとし、両親が自ら、行うことの大切さを示した生活環境を造り出すことが先決ではないかと思うのです。
純真な子供心を、素直に育ててやることが、より良い豊かな心を大きく育てる道、これが本当の愛情と思われてなりません。
相談をいただく度に涙を流す子供の悲痛な心の叫びを思うと胸が張り裂けそうな思いがします。
きびしく叱ることも、偏りのない判断によるものであれば、その真心が子供心に響くことです。
大事な場面で親の感情というエゴをもって怒ってはならないし、溺愛によって過干渉になってもいけないでしょう。
子供と親の対話、日々の行動が、心の交渉が、愛の心をより豊かに育てて行く。
子供の心もそこではじめて広く人々と溶け合うようになり、自分自身の心を磨いて行き、円満な人格を作って行くのである。
また先走ったおせっかいもやる気を失わせ距離を作る要因となるから気をつけなければならない。
親が子を放任し、正しい道をその愛情によって示さない生活の中で育てられた子供達は、気の毒といわざるをえない。
たとえば学校の成績ばかりを気にしている親の心が自己慢心にしかすぎないということに気づいていない。
心の中の知識の領域だけが発達しても、心にゆとりがなく情緒のない人間は、人生での正しい判断すら決定することはできない大人になるであろう。
智性は、人生をいかに正しく生きるかという、調和した生活をするための早道であって、自己保存、自我我欲の道具ではない。
『智策、智に溺れる』の愚を犯してはならない。
知性と理性、本能と感情、そして想念の領域が調和された、円満な人間に成長することが最も重要である。
試験、試験の人生は、自己保存的な、偏った人格を造り出し、人間本来の心を失ってしまう結果にもなってしまいかねないから心しなければならないでしょう。
また本能的な領域だけが発達しても、不調和な人格を造ってしまうものである。
いずれにしても心の不調和が、想念に曇りを造り出し、心の病に発展しているケースの多くをみてきました。
心の病は自身の問題ではあるがさかのぼると幼少時の家庭環境にまでたどり着くのである。
不調和な満ち足りぬ心の病いは、調和された生活以外、修正することは不可能であり、 根本的には薬で治るものではない。
実際に、不登校状態にある子どもを心療内科に連れて行って向精神薬漬けにされていた子どももいますが、無知な親にも責任があるだけではなく、そういった薬を処方して服用するまでは何もなかった副作用に苦しませるビジネスライクな医師にも大いに疑問をもってしまいます。
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